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国産の竹で、国産の箸を。自慢の仕事をつなぐヤマチク

国産の竹で、国産の箸を。自慢の仕事をつなぐヤマチク

国産の竹を使って、熊本県南関町にある工場で竹の箸だけを作り続けている「ヤマチク」。海外で生産した方が安く大量に販売できる現代において、国産にこだわり自社ブランドの知名度もどんどん上げているヤマチクの取り組みは目を見張るものがあります。ただこれまでが順風満帆だったのかというと、どうも違うようです。

竹を伐採してくれる「切子さん」に後継者がいないこと、コロナ禍、さらには長年承っていた大口取引終了……。山のように課題がありながらも、ヤマチクはしなやかに乗り越えてきているように感じます。今回は取材記事の後編ということで、ヤマチク3代目の山﨑彰悟さんにお話を伺いました。

  • 執筆:わざわざ編集部
  • 撮影:若菜紘之

すごい仕事をしているのに

山﨑さんがヤマチクに戻ってきたのは約10年前のことでした。幼少期から竹の箸に親しんできた山﨑さんは、改めて職人の仕事ぶりを見て「こんなにすごいことをしているのか」と感銘を受けたと言います。世界でもここにしかない技術がありそうだし、竹はサスティナブルな素材として注目されている今、ヤマチクは会社としてもっと成長し、世界に挑戦できるのではないかと感じたそうです。

しかし一方で、職人たちは自分たちの技術の専門性と価値の高さに気が付いていなかったのです。切子さんに至っては、自分たちの待遇が割に合っていないことを感じつつも竹を切らないと山が荒れる等の問題があるからと、自分たちのことを「損する人も必要だ」と捉えていました。すごい仕事をしているのに、仕事を誇りに思えていない。そんな現状に山﨑さんは大きなショックを受けました。

また、ヤマチクの当時の生産内容はOEMが主体でした。OEMとは企業からの依頼を受けて、その企業の製品として商品を生産することです。そのため製品に「ヤマチク」と大きく書かれることはほぼありません。利益もあまり出ておらず、経営体制にも課題がありました。まずは足元を整えるところからだと思った山﨑さんは、ヤマチクを潰さないようにすることを第一目標として走り始めました。

竹が安すぎる

ヤマチクでは竹を切り出し、扱いやすい形になったものを切子さんから仕入れています。取材記事の前編でもご紹介した通り切子さんはかなりの重労働ですが、それを60代以上の切子さんが担っていました。いつ「もう切子は辞めます」と言われてもおかしくないほどに高齢化していながら、後継者はいませんでした。その大きな理由は、竹の値段が安すぎたためです。

当時は竹1本の買取価格が500円程度で、ともすればカフェのドリンク1杯より安価でした。1ヶ月で400本切っても手取りで20万にしかならず、これではとても暮らしていけません。

そこでヤマチクでは竹の買取価格を2027年までに1本あたり1,200円にするという目標を立てました。すぐにでも値上げしたい気持ちは山々でしたが、ヤマチクとして利益を生み出す施策も並行する必要があります。徐々に値上げをし、2024年2月時点では800~900円となりました。この取り組みは効果があり、買取価格上昇に伴い筍農家さんの若手が切子として活動してくれるようになりました。

日本において、山地は国土の7割もの面積を占めています。竹は成長速度の早さからエコ資材として注目を集める一方、「竹害」といって適宜伐採して管理しないと山を荒らしてしまう一因にもなります。

切子さんから竹を適正価格で買い取ることは、切子さんの活動を促進し、山の管理の一端を担う公益性の高い仕事だとも感じているそうです。「竹を取って製品を作るという流れが途絶えてしまったらアウト。もう再現できなくなってしまうので、未来を残すために僕らはがんばっている」と山﨑さんは言います。

国産の竹を使って日本で箸を作る。このことには、ただ箸を生産するという以上に大きな社会的意義があるのです。

転換点はコロナ禍

2020年4月のことです。世の中はコロナ禍に突入して初の緊急事態宣言が発令され、お箸の受注がストップしてしまいました。受注できないなら生産も止めたいですが、そうもいきません。ここでヤマチクが休業すると切子さん達がこれを機に廃業する恐れがありました。

そこで、竹の買取は継続しながら色々と模索することにしました。その中で、例年行なっていた社員旅行の代わりに企画した社内でのデザインコンペを実施したところ、そこで採用したお箸がヒットしたのです。

「こんなお箸があったらいいな」という思いを自分たちの手で実現させるというこの商品開発は、自社ブランドの立ち上げにつながりました。個性が光るお箸は人気を集めただけでなく、OEMとは違って商品の利益率を高くできるため、利益増加を目指していたヤマチクにとって自社ブランドはまさに救世主となりました。

ここからのヤマチクはまさに破竹の勢いで突き進んでいきます。長年の大口取引が急きょ契約終了となり、年間で200万膳分の補填が必要になるという危機もありましたが、山﨑さんはICCサミット(経営者が参加し、プレゼンや議論を通して学び合い産業を創っていく場)に出場し、での見事プレゼンで優勝。以後企業からの受注が相次ぎ、200万膳分の穴を埋めることができました。

さらに、ヤマチクの工場でイベントも開催。これといった有名観光地があるわけではない熊本県南関町に2,000人を動員しました。「南関町にもお客様を呼べるんだ」と実感できた経験から、ヤマチクは実店舗・背景のオープンにも踏み切りました。

お客様が大切な人を思い描いて手紙をしたためるように買い物できる場所にしたい。店名にはそんな思いが込められています。

店内にはお箸が並ぶほか、実際にお箸を使えるカフェも併設されています。

自慢できる仕事になれたら

毎日のように竹を切り、加工し、箸を作る。自分たちが当たり前にやっているこの仕事がいかにすごいことかを自認し、誇りを持ってほしい。自慢してほしい。そう山﨑さんは言います。

職人さん達が生き生きと作業されている様子を見る限り、山﨑さんの思いはかなり達成されているようにも感じられましたが、まだまだだそうです。これからヤマチクは、封印していた「世界への挑戦」に向けて走り出そうとしています。

竹の箸作りを、自慢できる仕事に。山﨑さんとヤマチクの挑戦は続きます。

 

山﨑彰悟さん。ありがとうございました!

わざわざ編集部

皆様の「よき生活」のお役に立ちたいという思いのもと、正しい情報や欲しい商品をお届けすべく、わざわざオンラインストアでの商品ページ・記事作成や運営を担当。メールマガジンや公式Instagram、Threads、X、LINEでの広報活動も行う。

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