
「毎日、皿に絵を描いているからね。」と言ったのは、長野県佐久市にある創業から29年が経過した洋食店ラ・フェスタのマスターの柳澤梅男さんだ。ああ、絵のように美しい盛り付けは、そんな精神から作られていたんだなと腑に落ちた。こんなに通ってはいたけれど、言葉を交わしたことはない。いつも遠くで微笑んで軽く会釈してくださった優しい印象だけがあって、店内では、奥様の三和子さんがいつもテキパキと笑顔で働いている。どんなに混んでいても、待つのも束の間、サッと熱々の料理が運ばれてくる。

ラ・フェスタを知ったのは多分15年くらい前だと思う。わざわざを創業してまもない頃、農家の友人からおいしい洋食屋が佐久市にあるよと聞いて調べてみたら、ガソリンスタンドをザッと改装した店の写真が出てきて驚いた。かすれたペンキで「ラ・フェスタ」と書かれた看板が掲げられている。ガソリンスタンドの看板にザッと上書きしたのかな?と、煩雑な外観の姿が私を遠ざけた。
それから「ラ・フェスタには行ってみた?」と何度か聞かれたけど「行ってない。」「なんで?」「なんとなく...」「騙されたと思って本当に言ってみて。びっくりするほどおいしいから」(...いいや、私は騙されない。)何度も店の前を通ったけれど、どうしても店内に入る勇気が出ないのだ。私にとっては、それほどおいしさとはかけ離れた外観に見えたのだった。

今、私は、頑なに行かなかった日々を後悔しているくらい、ラ・フェスタに通っている。通い出してから5年以上は経っただろう。紹介してもらった時からあっという間に月日が経ち「ここおいしいって評判みたいなんですけど」とスタッフが教えてくれた店が、かのラ・フェスタだった。
これだけ何度も勧められるということは、おいしいに違いないと勢いがついて足を運んだ。思い切って押したドアは感触良くスッと開き、風除室には店主の趣味らしき絵を描いた石がきちんと並んでいる。もう一枚の扉を押すと、ガソリンスタンドを改装してできた店内と想像したものとは違い、洋食店らしい落ち着いたブラウンの空間が目に飛び込んできた。そして、やさしい笑顔で奥様が「いらっしゃいませ。何名様ですか?」と声をかけてくれたのだった。


メニューは、ファイル式のケースに手書きのものがいくつか挟まれていて数ページ綴り。後で気がついたことだけど、この手書きメニューはかなりの頻度で変更されている。冬になればビーフシチューが1ページ目に登場し、夏になると奥に引っ込む。ハンバーグは、ソースの種類が気がつくと微妙に増えていて季節によって変わっていく。食べようと思っていた季節限定のメニューが終わっていることに気がつくと、ふむ、食べ損なったな、先週これを頼めばよかったと後悔が湧いてくる。
季節で変わるわけでもない、気分なのかもしれない、はたまた、仕入れの関係なのか、オーナーの気持ちになってみたりして、メニューを読んでいるだけで想像が膨らんでしまう。グランドメニューは出たり入ったりの攻防戦が、いつも行われているようだ。手書きのメニューは大変だろうな、手がかかっているなと思う。

初心者の私はメニューをじっくり読みこみ、ソースのバリエーションの多さから推しメニューはハンバーグに違いないと推察し、ハンバーグを頼んでみた。すると、想像以上のハンバーグが出てきて驚いたのだった。正直、こんなにおいしいハンバーグは食べたことがない。いや、嘘だと思う人もいると思うけど、私は本当にそう思っている。私史上、No.1ハンバーグはラ・フェスタなんです。

ハンバーグがこれだけおいしいのならば、ポークソテー・ジンジャーソースもきっとおいしいに違いない。チキンの岩塩焼きとはなんぞや?ハンバーグビーフシチューだと、ビーフシチューにあのハンバーグがインされているのか?けしからん!なんて、めくるめく季節と変わるメニューに魅了され、いつしか通うようになって行ったのだった。
ハンバーグの形はいつもギリギリでその日によって形が違う。おそらく成形できるギリギリの種の柔らかさなんだと思う。丸とも楕円とも言えないギリギリの形のハンバーグが、デミグラスソースを纏い今日もツヤツヤに輝いている。おいしそうに湯気が立つハンバーグの横には、丁寧にカットされた野菜がちょこんと佇んでいる。季節によって添えられる野菜は違うけど、転ばないようにおしりがカットされたミニトマトには感激した。ここまで気配りされたハンバーグの副菜は見たことがない。

厨房の中に入って、料理を見せてもらいながらマスターに話を聞く。あのとろとろのハンバーグの原型が颯爽と登場してきた。柔らかそうな種ではあるが、成形できないほどでもなさそうだ。イメージとは違う。聞いてみると、これで形を整えるだけだからねと使い込んだフライ返しを指を差す。「あの……柔らかすぎて成形できないのは?」と恐る恐る聞くと、「いや、めんどくさいからね!」と笑顔で切り返された。思わず笑ってしまい、いやいやでもこだわりがなければ、こんなにおいしいハンバーグになるわけがないと口には出さずグッと堪えた。


取材チームが頼んだ3つの料理を、話しながら手早く同時進行しながら仕上げていく。あぁ、すごい段取りだなと思いながら前職を聞いてみると、ホテルで料理長を20年やっていたという。聞けば10代後半でラーメン屋さんの厨房の手伝いに入り、21歳で洋食の道に。そして24歳で料理長になったという。当時は結婚式場になっていたそのホテルで150名以上の参列者に料理を振る舞い、それが1日に4回転することもあったという。どおりで、と思う。ものすごく手際がいい。これぞプロである。「料理は段取り8分だよ。」とまたマスターは笑って言った。

テーブルに運ばれた熱々のハンバーグにナイフを入れると、お箸でも簡単に切れますというくらいスッと簡単に刃が入る。そういう気持ちも織り込み済みのようで、お箸も一緒にサーブされているのが憎い。だけど、敢えて私はナイフとフォークでこのハンバーグを食べたい。お皿に盛られたライスと、きちんと並んだハンバーグ様をいただくのは、ナイフとフォークが相応しい。

これは独断と偏見なので異論は認めないのだが、切った瞬間に肉汁がじゅわっというハンバーグは間違っていると思う。肉汁は肉の中に閉じ込められているべきものであり、肉汁が弾けるのは口の中でいい。大体、皿の上でハンバーグを割った瞬間に肉汁が出てきてしまったら、どのようにしてその旨味という名の肉汁を口の中に運ぶのだ?肉汁は肉の中に閉じ込めておいて然るべし。ラフェスタのハンバーグは口の中で旨味と共にとろけていく。あぁ、今日もひたすらにおいしい。

このハンバーグのおいしさの秘密はなんですか?とマスターに聞くと、いつもいつも今よりもっとおいしくと思ってレシピを細かく変更してきたと、恥ずかしそうに話してくれた。ホテルで料理長をやっていた時は、原価率や利益のこともあったから、おいしいものを作るという一点には集中できなかったそうだ。
だから自分の店を持ったらおいしさを追求できると思ったし、ホテルでは実現しなかった目の前で喜んでくれるお客様の反応がとても嬉しかったそう。そうして、もっとおいしくできないか?と材料を取り寄せ試し、変更する。それをひたすら繰り返してきた。どおりでと思ったしやっぱり!とも思う。おいしさは、細部への気配りと努力の結晶から生まれているのだ。

創業当時からカレーやハンバーグなどのメインの料理は変わらない。だけどレシピは大分変わったという。同じものを作るのは飽きるからと謙遜しながら、試行錯誤を教えてくれた。ハンバーグのレシピは聞いたけど、ここには書かない。もう歳だから後3年くらいしか店は続けられないかもしれないというマスターが、試行錯誤するその味をその間にぜひ食べに行って感じて欲しい。
取材中、終始控えめにサポートしてくれた奥様の三和子さんとは、19歳の時に出会って20歳で結婚されている。ホテルの料理長として忙しいマスターをサポートしながら3人の子を育て、開業してからは二人三脚で店を営んできた。ホールは奥様、厨房はマスター。この29年、殆ど二人で店を切り盛りしてきたそう。
奥様が席を外した時に、この広い店内が満席になった時もお二人だったんですね、すごいですねと話しかけれると「奥さんががんばっていたからね。」とマスターが言った。奥様が席に戻ってきた時に、さっき奥さんががんばっていたんだと仰ってましたよと伝えると、「マスターががんばっていたからですよ。男の人は弱さを見せられないからね。強い女の人が支えないとね。」と笑って言う。なんて素敵なご夫婦なんだろう。

ラーメンやカツ丼がご馳走で貧しかった時代だから、そんなものを食べてみたくて食いしん坊だから料理の道に入ったと言う梅男さん。料理人として50年以上一つの仕事を続けてきて、「これしかできない」「天職だった」と話していたけれど、時代背景があったとしても全ての人がそれをできるわけではないと思う。
今の時代を生きる私たちはどうだろうか? 自分には合わない、もっと他のことができるはず、多くの人が自分らしさを求めすぎなのかもしれないなと、取材中にふと思った。ただがむしゃらに人に教わったことを反復して身につける。自分にできることを真剣にやり続ける。とてもかっこいいと思う。そして、一緒に伴走してきた三和子さん。何が強くて何が弱いのか。私たちは先輩たちから学ぶべきことがまだまだある。
二人の顔をちらっとみながら、また笑顔で軽く挨拶して、熱々のハンバーグを頬張る世界がずっと続いたらいいのになぁと思う。1年間くらい俺が教えたら作れるようになるから、パンと洋食の店やらない?と笑いながら誘われたけど、二つ返事で受けられるくらいの会社になれるようにがんばりたいなぁと心の底から、今日も思いました。いつもおいしいお料理と、素敵な笑顔をありがとうございます。
