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幼稚園をオフィスと工場に
その幼稚園は高台に建っていて、二階から瀬戸大橋が見える。
「ここは風が抜けて、気持ちいいんですよ」
井筒伊久磨さんが、嬉しそうに微笑む。
国内屈指のデニムの生産地として知られる岡山県倉敷市児島で、1990年から縫製工場を営むナイスコーポレーション。2代目代表の井筒さんは2025年夏、10年前に廃園になった幼稚園を購入した。リノベーションして、同じ児島市内にあるオフィスや工場を移転するためだ。
園庭や2階建ての園舎を合わせて、約2,400平米。すべての機能を移転してもスペースが余るほどの広さで、まるで体育館のような2階の遊戯室はフリースペースにするという。思わず、取材陣から「贅沢ですね!」と感嘆の声が漏れる。
「余白を作ろうと思って。今よりも仕事とか人が増えたら、ここにミシンを入れて工場にすることもできますから」
井筒さんが父親から経営を引き継いだ2020年当時、社員は母親と数名、あとはインドネシアから来ている技能実習生の若者がいる程度だった。それから5年、現在の従業員は43人。直近の2年だけで20代が5人、30代が2人、40代が1人の計8人が加わり、2026年春には新卒が2名、入社する。
井筒さんはどういう意図を持って、どんな取り組みをすることで、若者を惹きつける企業に生まれ変わらせたのだろうか? 2023年4月、日本で縫製業としては第一号となるB corp認証の取得の裏側から、海外進出、デニム産業を盛り上げるための新たな挑戦まで──「デニム産業を未来につなぐ」ための挑戦の話を聞いた。
18歳でカナダに渡った理由
井筒さんの原風景は、祖父の膝の上だ。
「うちの祖父と祖母が縫製業を始めたのが1965年頃です。僕は子どもの頃からよく工場に遊びに来ていて、祖父の膝に座ってベルトループ(ベルトを通すため、ズボンなどのウエスト部分に縫い付けられる細い帯状のパーツ)を縫っていたことをよく覚えています」
細々と縫製を請け負っていた祖父母の事業を引き継いだのが、井筒さんの父親。1990年にナイスコーポレーションを立ち上げると、意欲的に事業を拡大した。ワークウェアや学生服の産地として知られていた児島で、デニムのOEM(他社ブランドの製品を製造すること)を始めたのが井筒さんの父だ。
「岡山から生地屋さんに連れて行ってもらって、東京のアパレルブランドに営業に行ったと聞いています。それでコムデギャルソンやピンクハウス、イッセイミヤケなどのデニムを作るようになりました。児島のパイオニアですね」
子育てに関しても、先進的な考え方をしていたのだろう。井筒さんが高校3年生の時、父親から「留学してみたら?」と勧められる。
小学生の時から続けていた野球で甲子園を目指したものの、3年間補欠で終わり、高校卒業後になにをしたらいいのか目標を見失っていた。「この辺の大学に行っても、なにが面白いんだろう」と疑問に感じていた井筒さんにとって渡りに船の提案で、「海外留学? めっちゃかっこいいじゃん!」と気軽なノリで1998年、カナダに向かう。
当初は、現地の大学入学を目指して語学学校に通っていた。しかし、テストで必要な点数を取ることができず、早々に「こりゃダメだ」と方向転換。現地の友人たちと毎日のようにつるんで遊びながら、英語を覚えた。
カナダで古着屋の社員として働く
バンクーバーに住み始めて1年半経った頃、思わぬ出会いを得る。たまたま入った古着屋のオーナーに、「洋服の経験がある日本人を探している」と声をかけられたのだ。後日、そのオーナーは日本の企業向けに古着を卸しているとわかったが、その時は特に説明はなかった。なんのことかと思いながらも、井筒さんが答える。
「親が洋服の工場してるけどね。服はまあまあ好きかな」
「なるほど。うちで働くか?」
「うん、そうする」
「いつから来る?」
「来週」
この簡単なやり取りが、井筒さんのカナダ生活を変える。店番をしたり、オーナーと一緒に工場を回ったりという数ヶ月の試用期間を一度も遅刻もせずマジメに働いていたら、その姿勢が評価されたのだろう。社員として労働ビザを申請してくれることになったのだ。当時も今もカナダで外国人が労働ビザを取得するのは難関で、これは異例のことだった。
「僕の周りからは、そんなの聞いたことないって言われました(笑)。日本人は寿司職人か旅行業者しか労働ビザの申請が通ったのを見たことがない、アパレルで通るんかい!って」
この頃、オーナーはオリジナルのアパレルブランドをスタート。井筒さんは9時から12時まで工場の生産管理、12時から18時までショップの店員として働いた。カナダやアメリカで開催される展示会にも同行。井筒さんは会場で日本の名だたるメーカーに声をかけ、商品を販売した。
意見の食い違いと葛藤
働き始めて3年が過ぎた頃、移民申請の申込書が届いた。記入して署名すればカナダへの移民として市民権を得て、労働ビザも不要になる。移住希望者なら誰もが望むこの申込書を見た瞬間、「日本に帰ろう」と決めた。
「もともとずっとカナダにいるつもりはありませんでした。それに、仕事への価値観がまったく違うんです。向こうは家族や友人、恋人と過ごす生活を中心とした中に仕事があって、日本は仕事を中心として生活がある。カナダは居心地がいいけど、これに慣れたら日本に帰った時にとんでもないことになると思ったんです」
2003年、帰国。父親からは、「イタリアに行って、アパレル商社に入ったらどうか?」「うちの仕事をしている中国の縫製工場に行ったらどうか?」と提案があり、井筒さんも真剣に検討した。しかし、最終的には児島に残り、父親のもとで働く道を選んだ。
「外から日本を見ると日本人の気質は本当に稀だと思ったんです。特に仕事に対する繊細さは、見れば見るほどすごいと感じます。日本のものづくりの素晴らしさを広く届けるなら、この会社だなと思いました」
最初の1年間は、工場でパターン(服の設計図となる型紙)作りと生地の裁断を学んだ。その後は、企画営業に就いた。すでに取引のあるクライアントを回り、どんな素材でなにを作るのか、企画から携わる。
すべて順調に……というわけにはいかなかった。ミスをして、クライアントからの叱責が3時間に及ぶこともあった。深夜にクライアントから電話がかかってきて、対応を迫られることも珍しくなかった。父親と意見がぶつかることも何度もあったと言う。
例えば、帰国した頃には児島にもインターネットが普及していて、企業がホームページを持つことは当たり前になっていた。その必要性を理解してもらえない。ホームページの製作にいくら、月々の維持費がいくらという見積もりを見せると、「これがあることでいくら売り上げが伸びるんや! 投資するならミシンやろ!」と言われてしまう。井筒さんが思う会社を良くしようという提案もなかなか伝わらなかった。それでも辞めなかったのは、周囲の理解があったからだ。
「実は、本当に辞めようと思って、自分の会社を立ち上げたこともあるんです。父と話をするのも嫌で、弟を通じてやり取りしていた時期もありました。朝、父と会うのも苦痛で。でも、弟やほかの家族がサポートしてくれたから、最後の最後で踏み止まりました」
「なんのこっちゃ」だった「B Corp」
井筒さんは父親とぶつかりながらも、着実に仕事をおぼえていった。そして、営業の責任者として売り上げを伸ばした。その数字は、父親にとっても無視できないものだったのだろう。2020年、2代目として代表に就任する。井筒さんは、この時を待っていた。
設計やデザイン、コンサルティングを手掛けるupsetters architects(アップセッターズ アーキテクツ)の岡部修三さんとは、父親の友人を通して知り合った。経営を引き継ぐ1年ほど前のことで、井筒さんは「自分が社長になったらやりたいこと」を岡部さんに話した。その際、「それよりもまずは、会社を整えませんか?」と提案された。当時はまだホームページもなかったのだ。
「そりゃそうだよな」と納得した井筒さんは、upsettersと契約し、やり取りを重ね、代表就任のタイミングに合わせてホームページを開設できるように準備した。「本当は会社名も変えようと思った」そうだが、そこはさすがに思いとどまり、その代わりに会社のロゴをリニューアルした。
その過程で、岡部さんから国際認証制度認証制度「B Corp」の話が出る。アメリカの非営利団体B Labが2006年から始めた取り組みで、「B」は、Benefit(ベネフィット:便益)を意味しており、社会や環境への配慮など公益性を重視する企業を認証する。パタゴニア、ダノン、ユニリーバ、ベン&ジェリーズなどのグローバル企業も取得しているものだ。
井筒さんにとって「なんのこっちゃわからん」ものだったが、何かしら外からの会社の見え方が変わってくるのであれば、取得してみようと思った。
「とにかく、岡部さんの先を見る目や情報量がすごかったんです。僕が投げた質問に関して、想定の倍ぐらいの情報が返ってきましたから。その岡部さんに、ほかの企業と差別化するためにはこの先こういう認証も必要になってくると思うと言われたから、そうか、じゃあやってみようかって」
頓挫しかけた認証取得と救世主の登場
留学や帰国を決めた時も、古着屋で働くことを決めた時も、直感的に心が動くと井筒さんは行動が速い。「B Corp」の取得を希望する企業のためにB Labが発行する『B Corpハンドブック』を取り寄せ、すぐに動き始めた。
しかし、間もなく頓挫してしまう。当時はまだ日本で認証を受けている企業が7社しかなく、情報が少なかった。そのうえハンドブックも英語版しかなく(現在はバリューブックスが日本語翻訳版を販売している)、普段の業務をしながら片手間で取得できるものではなかったのだ。そのまま放置しかけたタイミングで、救世主が現れる。
「国の補助金事業の採択支援について相談していたうちの税理士が『いい人がいますよ』と紹介してくれたのが、山磨貴幸さんです。彼は、経済系官庁を辞めた後、地元の倉敷市にUターンして行政書士をしていました。まだ独立したばかりと聞いたので、B Corpの取得に協力してほしいとお願いしたんです」
山磨貴幸さん
ここから、山磨さんが獅子奮迅の働きを見せる。1週間で『B Corpハンドブック』を読み解くと、井筒さんとふたりで週に一度、1日かけて読み込む日を設けた。
「B Corp」を取得するには、「ガバナンス(企業統治)」「ワーカー(労働者、従業員)」「コミュニティ(地域社会)」「エンバイロメント(環境)」「カスタマー(顧客)」という5つの項目で、計80ポイント以上取得しなければならない。そのポイントは、200を超える質問に回答することで算出される。井筒さんは山磨さんと二人三脚で、ひとつひとつの課題をクリアしていった。その過程で気づいたことがある。
「ほとんどの項目が既にできていることで、取得のために社内の仕組みを大きく変えなければいけないことが、ほとんどなかったんです。電力を再生可能エネルギーにしたのと、二酸化炭素の排出量を可視化したぐらいかな。まじめに誠実に経営してきた日本の企業なら、そこまで難しくなく取得できると思いました」
山磨さんとの作業は、8カ月で終了。2023年4月、日本国内では20社目、縫製業としては第一号の認証を受けた。
「山磨さんのおかげで、驚くほどとんとん拍子で取得できました。ひとりだったら、放置したままだったでしょうね」
経営改革に乗り出す
「B Corp」取得を進めている間、井筒さんは経営にも大胆にテコ入れした。最初に着手したのは、取り引き先の見直し。代表に就任した時期はコロナ禍で海外の工場の稼働が止まったこともあり、日本の縫製工場に注文が殺到。それに伴い、単価が2割ほど上がった。
もともと仕事のクオリティに対する単価の低さに疑問を持っていた井筒さんは、コロナ禍が収まった後もその単価を維持し、値下げを求める企業とは取り引きを終えた。その結果、取り引き先は多少減ったものの、利益率が倍になり、会社の体力は増した。
2021年7月には、新しいコーポレートアイデンティティ「岡山県児島から世界へ」を掲げ、海外展開を加速させる。
「もともと日本は、古着のジーンズの表現を再現する洗い加工技術が発展していき、10年ほど前から日本のデニム生地の質や加工技術は世界で高く評価されるようになりました。アパレル業界を見渡しても、いま世界で戦える日本の商品はいろいろあるとは思いますが、その中でもデニムが筆頭だと思います。それなら日本国内だけで仕事するより、海外で勝負したほうが面白そうじゃないですか」
海外企業との接点は、展示会。イタリアで開催されているデニムの展示会に出展したのを機に、有名海外ブランドのデニムの製造をOEMで請け負うようになった。一般的な中小企業にとって、海外の展示会への出展はハードルが高いだろう。しかし、井筒さんにはカナダでの経験がある。海外ブランドに積極的に営業をかけた成果は如実で、2023年には海外売り上げの割合が35%へ、2024年には45%にまで伸びた。
さらに2023年1月、「OEMではできないものづくりをしよう」という思いを込めて、オリジナルブランド「NC PRODUCTS」を立ち上げ。自社工場で排出された裁断クズを再利用したデニムパンツの「BASIC LINE」と、生産過程で出る残反を使用したラグやクッションカバーを扱う「PATCHWORK LINE」の販売を始めた。
「B Corp」取得による変化
「B Corp」の取得。海外展開。オリジナルブランドへの進出。こうした野心的な取り組みによって、「それまであり得なかった」ことが起きた。2023年に求人広告を出したところ、初めて若者から応募があったのだ。
井筒さんが特に効果を実感したのは、「B Corp」。冒頭に記したように、求人広告経由で20代が5人、30代が2人、40代が1人の計8人が入社した。そのうち20代の3人が、「B Corp」に関心を持っていたそうだ。
「B Corp」は、ほかにも多くの変化をもたらした。社内では月に一度、従業員との面談を行うようになった。新たに社内規定を作り、半年に一度、スキルアップと給料アップが連動したテストも実施. 経営陣からの一方通行の評価にならないよう配慮もしている。
「1年目はジーンズとパンツ、2年目はジージャンを縫ってもらいます。その際、自分で縫ったものに対して良かった点、悪かった点、気になった点を書いてもらって、それを見ながら評価をすり合わせます。こちらにとっても本人の視点や意識が明確になるので、お互いにとって納得感が高くなると思っています」
「B Corp」は、海外で仕事をする上でも重要な指標になっている。
「GOTS(lobal Organic Textile Standard/オーガニックテキスタイル世界基準)という認証があって、最近はヨーロッパのお客さんと話をする時に、B CorpとGOTSは必要不可欠になっていますね。交渉のテーブルに乗るかどうかという基準になっています」
未来のために児島で「B corp」認証企業を増やしたい
井筒さんが代表に就任した2020年からの経営改革が実り、この4年間、毎年約20%の成長を遂げてきた。だが、順風満帆なことばかりではない。アパレル業界では、クライアントの事情により急に発注がゼロになることもありえる。
それで瞬間的に売り上げが落ちても、挽回することだけを考えて営業に走り回ればそれなりに仕事を集めることはできるだろう。しかし井筒さんは、そうではない形で未来のための種を蒔いている。
その中のひとつが、前述の「B Corp」だ。ナイスコーポレーションが「B Corp」認証を営業や採用に活かしていることを知った児島内の同業者から、うちも取得したいと問い合わせが来るようになった。井筒さんは行政書士の山磨さんを紹介し、それを後押しする。
「児島の同業者が『B Corp』を取れば、B corpを持ったもの同士で同じ方向を向いた会社運営ができるし、同じ物差しで話ができる気がしています。そうすると、児島としてのデニムのブランディングができるから、どんどん認証を取ってほしいんです」
守りながら攻める
井筒さんは「B corp」だけではなく、「GOTS」も取得する企業を児島に増やそうとしている。児島に公益性の高い企業が集まっているということが地域のブランディングとなるからだ。井筒さんはその未来を見越して動き始めている。
土地と建物の費用、リノベーションで巨額の資金を投じて幼稚園を取得したのも、先行投資。新しい工場はオープンファクトリーの機能を持ち、ショップも兼ね備える。園庭には遊具が残り、2階から瀬戸大橋を望むこの幼稚園に国内外の顧客が訪ねてきた時、どんな印象を持つのか、井筒さんは今から楽しみにしている。
「社員には、今年は攻めの年だから苦しいこともあると思うと伝えているんです。でも、守りに入ってしまうとチャンスが来た時に動けないでしょう。守りながら攻めないと。死にもの狂いですけどね」




