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鎌田安里紗(かまだありさ)
一般社団法人unisteps共同代表理事。2009年より、衣服の生産から廃棄の過程で、自然環境や社会への影響に目を向けることを促す企画を幅広く展開。2020年に一般社団法人unistepsを共同設立。企業・行政・デザイナー・生活者など、多様なステークホルダーと共にファッション産業におけるサステナビリティに関する取り組みを推進する。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。著書に『わたしの服はどこからきてどこへいくの?──服と人とのサステナブルな関係を考える』共著(晶文社)
とことんまで消費した経験を経て
「中学生の頃からギャルだったんです」と笑う鎌田安里紗さん。高校時代に東京のアパレルショップでバイトを始めた鎌田さんは、スカウトされ、ギャル雑誌のモデルもつとめていた。「ありちゃん」という愛称で親しまれ、表紙を飾り、鎌田さんに会いたいファンがお店に会いにくることも。彼女と同じ服を着たいと思う人がたくさんいて、そのブランドの販売実績で全国一番になったこともあるのだという。
それから10年以上経った今も、鎌田さんはずっとアパレル業界に携わっている。ただ、そのスタンスは大きく変化した。
2020年、「多様で健康的なファッション産業に」をビジョンに掲げる一般社団法人「unisteps」を立ち上げ、共同代表に就任。「ジャパンサステナブルファッションアライアンス(JSFA)」という企業連携のプラットフォームの事務局を担う、「ファッションフロンティアプログラム(FFP)」というデザイナーに向けたアワード・エデュケーションプログラムの運営を行うなど、ファッション産業のあり方を見直し、持続可能な仕組みづくりを模索している。
「本当に気に入る服があったら、ファストファッションでもハイブランドでも好きなものを買ったらいいと思うんです。大切なのは、それをなるべく大事に着ることと、もし飽きてしまっても適切な方法で手放すこと。そう考えるようになったのは、一度とことんまで消費した経験が大きいと思います」
モデルや販売員として服を届けることと、消費者としてたくさんの服を買うという経験を同時にしたという鎌田さん。そんな時代を経て、彼女にどんな変化が起きたのだろうか?
ギャルのファッション文化に出会って
徳島県徳島市出身の鎌田さんがギャルファッションに出会ったのは、中学2年生の時。ギャル雑誌『egg』(エッグ)『Ranzuki』(ランズキ)などを手に取るようになり、「かわいい!」と影響を受けた。
「ギャルのファッションが純粋にかわいいと思って。髪を染めたり、ピアスしたり、日焼けサロンに行ったりしていました」
見た目が派手になると、周囲からはグレたのかと心配されたが、勉強には真面目に取り組み、「ただ見た目としてギャルファッションが好きだった」と彼女は当時を振り返る。
中学3年生になると、校則が自由で勉強にも打ち込める学校が東京にあることを知り、両親を3ヶ月かけて説得して受験。無事に合格し、2008年、都内でひとり暮らしをしながらの高校生活が始まった。鎌田さんは、高校3年間を「人生で一番忙しかったかもしれない」と苦笑する。
「平日は学校に行って、それから渋谷に出て朝まで遊んで、寝ないで学校に行って勉強して…という毎日でした。それで、土日はマルキュー(渋谷のファッションビル109)で働いて。モデルを始めてからは特に忙しかったですね」
高校に入学してすぐ、109に仕事を探しに行き、あるギャルブランドで販売員の仕事を得た。
109の前で、愛読していた『Ranzuki』の雑誌モデルにスカウトされたのは、高校2年生のとき。モデルの仕事は競争社会ではあったものの楽しく刺激的で、真剣に取り組んだ。
同時期に始めたブログも鎌田さんにとって大きな存在だったという。メイク、洋服のコーディネート、その日に食べた物、彼氏のこと、友だちのこと。等身大で包み隠さない発信が、同世代の女性から多くの支持を得た。
「フェアトレード」との出会い
多忙だったこの時期、鎌田さんが服について考える出来事がふたつあった。ひとつは、アパレルショップでアルバイトを始めた2008年、海外のファストファッションブランドの大型店舗が東京にオープンしたこと。しばらくすると、お店に買い物に来る若いお客さんに変化が表れた。デニム1万5000円、ロングTシャツ4900円といった値札を見たときに、「あっちの店で似てるのもっと安かったじゃん」という会話が聞こえてくるようになったのだ。鎌田さんは店員として「似てたらそれでいいのかな?」と感じつつ、自分もそういった服を買っていたから、複雑な気持ちになった。
もうひとつは、高校2年生のときに学校の授業でフェアトレードについて学んだこと。チョコレートの原料となるカカオやコーヒー豆の売買にフェアトレードが導入されるようになったと知り、「服はどうなんだろう?」と気になって自分で調べたところ、「ピープルツリー」というフェアトレード商品を専門としたブランドがあることを知った。
ピープルツリーは1995年、フェアトレード製品の普及を目指して日本で設立されたフェアトレードカンパニー株式会社の一部門で、日本ではフェアトレードのカカオを使ったチョコレートやオーガニックコットン等の環境配慮型素材を用いたフェアトレードの衣服を展開している。その活動に興味を持った鎌田さんはある日、イベントに足を運んだ。この時のできごとは、「ギャルが突然来たからびっくりしたよ」と、今ではピープルツリーの社員さんたちとのあいだで笑い話になっているそう。
「それまで、ファッションってコーディネートを楽しむものだと思っていたんです。でも会場で、この服の織り手はバングラデシュの村にいて、綿はインドの畑で育てていて…みたいな説明を聞いて、 えっ、そこまでわかるの?って。それがすごく面白かったんですよね。 生産の背景を知ったうえで服を着る楽しさがあるんだと初めて知りました」
肌で感じたファストファッションの勢い
学校、モデル、アルバイト、遊びと24時間では足りないほど目いっぱい駆け回っていた鎌田さんは、より自由に学びを深められる慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに進学。相変わらず慌ただしい日々を過ごしながらも、服作りの「背景」に興味を持ち始めた鎌田さんのアパレルへの眼差しは、少しずつ変わっていく。
勤めていたアパレルで、販売だけではなく洋服のデザインや買い付けなどの仕事を任されるようになったことも大きなできごとだった。デザインといっても、専門知識はないから洋服の画像を組み合わせたり、絵を描いたりして、「こんな感じで」とふんわりとした依頼を出す。すると、1、2週間後には「できました」と服が届く。ピープルツリーの取り組みを知っていたからこそ「ものづくりってこんな感じでいいんだっけ?」という疑問がわいた。
ファストファッションが世の中に浸透して、服の相場が変化していくと、自然と価格を抑えようとする動きも出てきた。そうなると、生地やプリントを安いものに変えざるを得ず、服が好きな人であればあるほど仕事をやめていった。こだわって作りたいけれど、そうすれば価格が高くなり、届けたい人に届かない…。
そんな葛藤を抱えていたのと同時期に、鎌田さんは自分の部屋で愕然としたことがあった。クローゼットに収まりきらず、部屋の隅に畳んでいた大量の服を目の前にして、ある日、唐突に「一着も愛着がない」と気づいたのだ。
メーカーは、コストを気にして本当に作りたいものが作れない。安く作るためには、工場にムリを言わなくてはならない。そうしてできあがった服は、すぐに飽きてゴミになってしまう。「やっぱりこのままではいけない」と、大学3年生の時、販売員の仕事から離れた。
カンボジアで目の当たりにした厳しい現実
鎌田さんの関心は、高校2年生の時にピープルツリーと出会って以来、ずっと心が動いていた「生産の背景を知ったうえで服を着る楽しさ」に向かっていった。
国内外の服の産地を訪ねては、SNSやブログで発信するようになった。ファッションとしてのギャル色は薄れたとはいえ鎌田さんのファンは多く、インフルエンサーとしての影響力がある。大学4年生になった頃には、「エシカルファッション」をテーマにした講演の依頼が増えていった。
その後、大学で所属していた研究室での研究を続けるため大学院に進学。研究を続けながら、自治体や企業からの依頼で毎週末のように登壇した。その合間に産地巡りを続けていると、SNSのフォロワーから「私も行ってみたい」という声が増えてきた。そこで、講演のたびに「スタディツアーをやりたい」と話していたら、大手旅行会社から「やりましょう」と声がかかり、実現することに。
2015年、大学院1年生のときにカンボジアに行った。ツアーの際にはたいてい地元で活動しているNGOと組み、アテンドを頼む。地雷原だった土地をオーガニックコットンの畑に変えたエリアに行ったり、日本のブランドが発注する縫製工場で不当に解雇されたという女性たちの声を目の当たりにしたり。さまざまな世界のアパレル産業に関わる人の生の声を聞いて、鎌田さんの「この業界を変えたい」と思う気持ちは、大きく確かなものになっていった。
「エシカルファッションプランナー」に
同じく大学院生のとき、ピープルツリー創業者のサフィア・ミニーさんと一緒にバングラデシュを訪ねたことがあった。首都ダッカから車で6時間ほどかかるのどかな農村部に、ピープルツリーと提携する縫製工房がある。そこで働いていたある女性スタッフは、2014年にダッカ近郊で起きた「ラナ・プラザ崩落事故」の生存者だという。
ラナ・プラザには、複数の縫製工場が入っていた。死者1127人、行方不明者約500人、負傷者2500人以上が出たこの大惨事の被害者は、これらの縫製工場の従業員が多く含まれていた。ビル内にいながら辛くも生き延びた女性は、ラナ・プラザ時代といまの縫製工場の違いについて、こう話した。
「ラナ・プラザの時は襟担当になったら、ずっと襟。 袖担当はずっと袖。完成品がどこで誰に着られているかを知ることもなく、機械の補助をしている気分でした。でもピープルツリーの工房では服を作る全体の工程を担当させてもらえるし、どうやったらもっとキレイになるか、自分で工夫する余地があるのが楽しいです。工場にはカタログが貼ってあって、自分が作った服がこうやって着られているんだなとわかるのも嬉しいですね」
いきいきと仕事のやりがいを語る女性の姿を見て、鎌田さんは改めて思った。
「ものづくりって本来、彼女が語るような喜びを伴うものなんだよな。フェアトレードのものづくりが広まって、彼女のような職人さんがもっと増えたらいいな」
名刺に「エシカルファッションプランナー」と記すようになった鎌田さんは、大学院に通いながら講演とスタディツアーで国内外を飛び回った。特に参加者の変化を直に感じるスタディツアーに、大きな手応えを感じた。
参加者は学生から社会人、定年して会社員を引退した高齢者まで幅広い。共通しているのは、自分がファッションを楽しむことで自然に負荷をかけているんじゃないか、生産者を搾取しているんじゃないかという不安感だ。
「服がどんな風につくられているかを見ると、改めて服やファッションの面白さに気がついたり、あるいは今売られている服が安すぎるなと思ったり、現場を見て、なにかしら自分なりに腹落ちすることがあるんだと思います」
「システム」を変えたい
鎌田さんは当初、「個々の生活者の意識が変われば、ファッション産業は良くなる」と考えていた。そのための講演であり、スタディツアーだ。
しかし、次第に課題を感じるようになっていった。個人の意識が変わっても、社会の中で選択肢が少ないと実践し続けることはできない。個人の努力に頼らないようにするためには、社会の大きなシステムから変えていかなければいけない。
システムの変革を意識したのは、もうひとつ理由がある。「エシカルファッションプランナー」を名乗って活動するようになってから、大手のブランドやメーカーと話をする機会も増えた。最初は企業で働く人々の意識が変われば、ものづくりのあり方も変わると考えていたが、意識だけの問題ではないと気がついたのだ。
「いまの経済システムのなかで会社の利益を出すことが求められているから、その中で成果が出るように仕事をするのは当然ですよね。体に染み付いてしまっているものを変えるのはすごく難しい。それに気づいたら、企業の中においても個人の意識の問題じゃないと思ったんです。例えば、いまは環境配慮型の素材の方が価格が高いけど、もし安くなったら、消費者はそちらを選ぶわけじゃないですか。そうするためには、個々の企業の取り組みだけだと限界がありますよね。それならシステムにアプローチする必要があると感じました」
この目的を果たすため、冒頭に記したように2020年、「多様で健康的なファッション産業に」をビジョンに掲げる一般社団法人「unisteps」を立ち上げ、共同代表に就任した。
静かに進行するパラダイムシフト
「unisteps」では、デザイナー育成プログラム兼アワード「ファッションフロンティアプログラム」の開催、企業やブランドがどのくらい環境と人に配慮しているのかを5点満点で評価するオーストラリア発の評価機関「Good On You」の日本へのローカライズなどに携わっている。「ジャパンサステナブルファッションアライアンス(JSFA)」の事務局をになうのも大きな仕事だ。これは、日本の繊維・ファッション関連企業が共通課題の解決に向けて連携していくためのプラットフォームである。
2021年にJSFA がスタートした当初11社だった加盟社は、現在70社を超える。
70社超の企業が集まり、それぞれの思いが交差する中で、意思決定をしていくことはむずかしい。話し合いを続けながら、政府への政策提言をするなど、JSFAのみなさんと共に、一歩一歩前に進めている状態だ。
みんなで服の寿命を全うする社会に
企業や官公庁での会合に明け暮れる日々のなかで、鎌田さんは個人的にもサステナブルな服との関わり方を模索してきた。
1990年からの20年間で洋服の平均価格が半分になり、所有期間が半分になったというデータがある。安い服が増え、使い捨てされるようになっているということだ。この流れに抗うために、鎌田さんはリデュース(ごみを減らす)、リユース(くり返し使う)、リサイクル(再生利用する)」のなかで、リデュースとリユースを意識する。
例えば、白い服を買う時には染め直しやすいように、コットンやウール、麻など天然素材のものを選ぶようにしている。ほつれたり、傷んだりした服はなるべくお直しに出す。亡くなった祖母から譲り受けたブーツも、革を張り直して愛用している。
「とにかく服を使い捨てしないことが一番大切だと思います。でも、購入する時に『私はこの服の寿命を全うできるのか』みたいに考えるのって、重たすぎてしんどいじゃないですか。だから、手元にある間はできるだけきれいに着て、飽きたら人にあげるなり、売るなりして、最終的にはゴミ箱ではなく、衣類の回収ボックスに入れればいい。みんなで服の寿命を全うできればいいんじゃないかな」
鎌田さんは一時期、「本当に気に入った服だけを着よう」と決めていた。「2025年に買った服は5着」というから驚きだ。よく顔を合わせる友人からは「鎌田がなんの服を着てくるか予想できる」と言われていたそう。
「本当に気に入ってるものって、ちゃんと毎回テンションが上がるんですよ。その感動の持続力って、すごいんです」
これからも、ファッション業界のシステムの改善にかかわりながらも、「人と服との関係性ってどうあるべきだろう?」という問いに向き合い、等身大な発信も続けていきたいという鎌田さん。サステナブルな服との付き合い方を目指す彼女の道のりは、まだまだこれからも続いていく。




