忘れられない今宵の一杯がある。ポルトガルのワイン畑で仕事をした後に飲んだロゼワインだ。お酒を飲むことの喜びが、初めて身体でわかった日の話をしたい。
私は今年の春から1年間旅に出ている。旅の目的は、世界各地で暮らす人々の日々のごはんを体験し、味わうこと。
日本では初心者向けに自炊のはじめ方と楽しみ方を教えているが、世界の人は限りある時間やお財布事情の中でどのように工夫して食べているのかを見てみたくて、日本を飛び出した。
各国での滞在先は主に、旅人と働く人を探している人をマッチングする「Workaway」というサービスを使ってホストを見つけている。ホストの仕事を手伝う代わりに、宿と食事を提供してもらえるので交通費以外は無料で旅ができる。さらに私の旅の目的は「世界各地で食べられている日常のごはんに触れること」であり、このサービスを使えばその土地に住む人の生活を知れるのは私にとってとても有り難い。
春から台湾、韓国と巡り、3か国目に向かったのはポルトガルだ。6月の上旬、ポルトガル第二の都市・ポルトに降り立ち、バスで1時間ほどの自然豊かな田舎町・ビゼウにたどり着いた。お世話になっているのはイギリス人の老夫婦がポルトガルに移住して立ち上げたワインやオリーブオイルを生産している場所。とてつもなく広い家には宿貸しの部屋もあり、農園の恵みを楽しめるファームステイだ。私はそのうちの一部屋に泊めてもらい、畑で働く日々を過ごした。
1.4万平方メートルほどの広さに、6000本のぶどうの木がずらりと並んで植えられている。私が訪れた6月は気温が高くなり、ぶどうのつるがぐんぐん伸びる季節で、その剪定をするのが私の仕事だった。
働く日は朝から畑に向かい、つるを正しい位置に戻し高さを整え、脇芽を切り、ぶどうに日が当たるように葉を手でちぎって落とした。文字にすると簡単なように見えるが、ぶどうのつるは頑丈だ。引っ張る作業を続けていると、私の貧弱な腕と背中はあっという間に筋肉痛になった。ワインを作るのがどれだけ大変か、ひしひしと痛感した。でも、決してもうやりたくないわけではない。
その日、くたくたになるまで剪定作業をした後、畑の谷の下を流れる川に向かった。昨日仕掛けておいた罠にかかったザリガニを捕りに行くのだ。
収穫は8匹程度だったが、5日ほど前から捕り続けているので45匹くらいは料理できるストックがある。ホストのお父さんが「今日はザリガニを茹でて、トマトケチャップを少し入れた自家製マヨネーズをおつまみにワインを飲もう」と言う。私の胃袋がぐぐぐと広がるのを感じる。
お父さんと一緒にキッチンに立ち、ザリガニをバケツから出し、大中小に分け、塩と唐辛子を入れた熱湯で茹でる。あっという間に真っ赤な色に変わり、さっきまで生きているザリガニを食べるのは可哀想だと思っていたのに、もうおいしく見えている。人間は残酷だ。
茹で上がったらすぐ氷水に放ち、身をしっかりと固める。しばらく置いておいたあと、キッチンハサミを使ってゆっくりと丁寧に剥いていく。殻が身から外れると、柔らかい身だけがつまんだ指先に残った。お父さん自家製のマヨネーズとケチャップを混ぜ合わたソースを、各々の皿にぽてっと落としていく。この日はフランス人のカップルもいたので、5人分の皿があり、均等に渡るようにとお父さんが一つ一つザリガニの身を皿に並べる。食べるのが好きな人なんだな、と伝わってくる。
ザリガニ以外にも、家で燻製したというサバ(彼らは20年間イギリスでスモークサーモン工場を経営していた凄腕!)を載せたサラダもテーブルに並んだ。今晩はロゼで乾杯する。マヨネーズは思ったほどこってりしておらず、コクが強い。ザリガニはエビよりクセがなくて食べやすく、マヨネーズとよく合う。口の中がまったりしたところに辛口のロゼを飲む。香りが良くてみずみずしく、至福の一言。
「あぁ、お酒ってこんなにおいしいんだ。」と、しみじみ思った。肉体労働でくたびれた身体に、水をあげるようなワインだった。アルコールは身体に良くないなんて信じられないほど、身体が喜んでいるように感じた。
このワインもまた、去年の今頃、誰かが剪定作業をしてくれたから今ここで飲めている。私が世話したワインも、来年誰かが楽しんでくれたらなによりだ。