お酒をやめたいなと思う時がある。だけど、まだやめてはいない。
一人でする晩酌は、他では味わえないとっておきの時間を過ごしているという圧倒的な多幸感に包まれる。だから、やめられない。自分のためだけに料理して、自分のためだけに器を選び、何のお酒を合わせようかと思案して、席に着いた瞬間、腹の底から幸せな気持ちが湧いてくる。何故かいつもよりゆっくりと時間が流れるような気がしてくる。
映画やドラマ、アニメを楽しみながら飲むことも多い。晩酌のメニューに合わせてコンテンツも選ぶ。片手で食べられそうなメニューの時は、本をじっくり読みながら飲む時もある。一人なのに「あー楽しい!」と言葉が口をついて出てしまう。そんな夜は、また来るであろう次の機会すら愛おしくなる。
だけど、「もう飲むのをやめたい」と心底思う日もある。雑な飲み方をしてしまった時の虚無感と徒労感もまた格別なのだ。翌朝、霞みがかった脳とキレのない身体を起こすと、やり場のない後悔の波が押し寄せてくる。
振り返ってみるとそれは大抵、冷蔵庫にある適当なものを集めて、自分の隙間を埋めるように飲んだ時。料理や器やその瞬間を大切にするわけではなく、空腹を満たすように飲む。忙しくて余裕がなくなると、酒に寄りかかる。酒でも飲んでおけば気が晴れるだろう。とりあえず酒でも飲むか。そんな時は心は満たされない。大抵、必要以上に飲みすぎて、何の酒をどのように飲んだかすら記憶しない。
自分が自分を大切にすれば、多幸感に包まれる。
自分が自分を蔑ろにすれば、虚無感に包まれる。
お酒を飲む時間が自分の状態を測るようなものに感じる時がある。
自分が自分を大切にする行動というのが空気になって、所作のようにできるようになれば一番いいのだろう。正反対側にある多幸感と虚無感を行き来させてしまうのは、まだ修行が足りてないからだろう。ぼんやりと気取らず飲めたらそれが一番いい。所作になってないから、バランスをとるように行き来する。この往来の激しさがなくなるのが、「正しい酔っ払い」なんだろうと思った。
あぁ、正しい酔っ払いに私はなりたい。
さて、今晩のつまみは唐揚げと茹でブロッコリー。合わせたのは久々に家で飲むビールです。ビールは家ではほとんど飲まない。出張が多いのでビールを飲む機会が多く、プリン体も気になるし避けている。でも、やっぱり油分の多い唐揚げには、口の油を洗い流してさっぱり飲めるビールに決まりでしょう!唐揚げとビールの相性は最高です。
たっぷり摩り下ろした生姜と醤油とみりんに漬け込んだもも肉に、小麦粉と片栗粉を半々で合わせたものをまぶし、180度で揚げて最後に190度にして香ばしく仕上げたもの。これ、私の完璧な唐揚げレシピ。ブロッコリーは一人でまるごと一つ食べちゃいます。茎も森の部分も茹でて熱々なところに、しらすをたっぷりかけてポン酢をふりかけて。
器を選んでお料理を盛り付けるのもとっておきの時間です。今日は銀の釉薬でシンプルに彩られた角りわ子さんの平皿に唐揚げを。陶器なのに銀彩は経年すると鈍く光り、まるで金属の器のように見えてくる。ブロッコリーは黒い拭き漆の木皿にサッと盛り付ける。銀と黒、シンプルなコップに竹のお箸。どう?素敵でしょう?
自分のためだけに作る揚げ物は特別だ。揚げ物はキッチンが汚れるし、油の処理が面倒だなと思っていたけど、実は揚げさえすればなんてことがないので、それに気がついてからよく一人揚げ物会を開くようになった。キッチンに椅子を持ち込んで、天ぷら屋さんのように一つずつ揚げて晩酌をするのも好きだ。
正しい酔っ払いになれる日はいつのことだろう。それはまだ、わからないけれど。
本日も粛々と仕事に取り組みながら、今晩の晩酌が楽しみでなりません。