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スーパー寿司と缶ビール

スーパー寿司と缶ビール

最近、じっくり、しっぽり、自分や大切な人と向き合う時間を取れていますか? さまざまな人に「とある夜の一杯の嗜み」についてのエッセイを書いていただく連載「今宵の一杯」。 お酒でもノンアルコールでも、しっぽりとした今宵の一杯を──。 第7回は、歌人・伊藤紺さんによるエッセイです。

  • 執筆:伊藤 紺
  • 編集:あかしゆか

ちょっぴり不吉なことがあった。不安なので、盛り塩とかしたほうがいい気がして棚をあさる。盛り塩、塩だけで邪気を払えるという手軽さ。その費用対効果で今日まで残ってきたんだろう。伯方の塩しかなかった。袋に大きく「海の恵みにがりを残した」と書いてある。もっと研ぎ澄まされた塩のほうがいいような気もする。わからない。

今日はつかれた。寿司が食べたい。寿司が一番好きな食べ物だ。

「好き」には範囲が狭くなる「好き」と、広くなる「好き」がある。たとえば、特定の音楽を好きになることによって、好ましくない音楽を苦痛に感じることがある。「好き」によって許容範囲が狭くなっているのだ。わたしにとって、寿司は後者の「好き」だ。いいとこの寿司はもちろん、スーパーの寿司も好き。全ての寿司とは言わないが、ある程度のクオリティが担保されていれば、どんなレベルの寿司にもそのよさがあり、寿司はすべて光っている。

今日は寿司。スーパーに行こう。9月の終わり。あちこちからいろんな虫の音が聞こえる。ずいぶん涼しくなった。前方から自転車が近づいてくる。すれ違いざま、後ろの座席にいた幼児が「雲行きが怪しい!」と叫んだ。こんな小さな子が、と思いながら見上げた夜空は澄み渡っている。わたしのこと?

スーパーに着いて、まず寿司コーナーに行く。10貫セットは残りひとつだった。危ない。カートに入れる。スーパー寿司には8貫か10貫かという問題がある。お腹がいっぱいになると寿司はかなりきつい。しかし足りないのもさみしい。お味噌汁や他の付け合わせがあるときは8貫、寿司だけのときは10貫というのが目安である。

一応ビールコーナーに寄る。ビールはいつもケースで買っているので家にある。でも、スーパーに来たら一応来る。好きだから。売り場をぼけっと眺めているとちらっと金色が輝く。ヱビス。おお、この色。今日はヱビスかも。生ビールも瓶ビールも好きだけど、家で飲むのは缶ビールだ。保存の場所をとらず、ゴミは潰せて、軽い。しかしなにより存在感がいい。ボトルにラベルが貼り付けてある瓶ビールや、グラスに注がれて一杯のかたちを得る生ビールに比べて、缶ビールは常に完成のかたちをしている。アサヒの銀、サッポロの白、そしてヱビスの金。ボディの色も味である。不吉なこともあったし、ヱビス様の縁起を担がせていただこう。

家に帰る。寿司パックに入っていた醤油を醤油皿に出し、わさびをもらい忘れたことに気づく。いつからかわさびは売り場に置いてあるのを自由にとるスタイルになった。昔は必ずパックに同封されていたのに。あれから何年も経つのに、ずっとわさびをもらい忘れている。

ヱビスをプシュっと開ける。飲む。うまい。買ってきたばかりなので、ちょっとぬるい。でも十分にうまい。夜、ビールを飲むと、う〜! と思う。自分だけの時間のはじまりに苦味が合う。自由業なので、朝も昼もべつに自分の時間であり、大してストレスなど抱えていないくせに、それでも、思う。こんな人間でも、昼間はなんだかんだ言って、ちゃんとしなくちゃと自分を縛っているのかもしれない。

寿司を食べよう。どれからでもいい。よく見るとなぜかまぐろの赤身が2つあり、イカを挟む並びになっている。イカがかわいそうなので、まぐろから。おいしい。そしてビール。おいしい。寿司は醤油をちょこっとつけて、日本酒をちびっ…というのが一般によさそうな感じもするけれど、スーパー寿司にはスーパー寿司の流儀がある。醤油とわさびをしっかりめにつけて、がつんと味わったあとにビールをごくごくっと飲むのだ。塩分とアルコールのせいか、頭がぱっと輝く。

なんとなくみうらじゅんの出ている番組を見る。みうらじゅん、おもしろい。いちいち笑ってしまう。昔はあんまり笑えるものを見なかった。笑いより、痛くて突き刺さるようなものが見たかったのだ。今すぐに自分を変えてくれる強い力を求めていた。大人になって、笑いも好きになって、よく一人で酒を飲みながら笑えるものを見る。笑うと元気になれる。元気になると、大体のことは大丈夫になる。大丈夫になってはじめて、何かを本当の意味で考え続けることができるのだと、32歳の自分は思う。たぶんそういうふうにしか、人は変わっていけない。

寿司を食べ終え、ビールも飲み干し、ふと気になって調べてみると、盛り塩にはにがりが必要で、精製された塩ではダメらしい。伯方の塩は盛り塩向き、という記事まで出てくる。意外。でももう盛り塩はいい。元気だし。塩は盛らずとも摂ればよいのだ。

そしてビールを飲み、笑う。きっとそれで払える邪気もあるはずだ。

伊藤 紺

歌人。1993年生まれ。著書に歌集『気がする朝』(ナナロク社)、『肌に流れる透明な気持ち』、『満ちる腕』(ともに短歌研究社)。

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