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ソウルの焼き魚定食と、二本の瓶ビール

ソウルの焼き魚定食と、二本の瓶ビール

最近、じっくり、しっぽり、自分や大切な人と向き合う時間を取れていますか? さまざまな人に「とある夜の一杯の嗜み」についてのエッセイを書いていただく連載「今宵の一杯。」

お酒でもノンアルコールでも、しっぽりとした今宵の一杯を──。 第9回は、岩手県盛岡市で書店「BOOKNERD」を営む、早坂大輔さんによるエッセイです。

  • 執筆:早坂大輔
  • 編集:あかしゆか

旅先で食事をする店を探すときの鉄則は、ガイドブックに頼らないこと。あくまで自分の勘と、現地で知り合ったローカルの人びとのおすすめを頼りに。外観や料理の写真、匂い、路地の雰囲気や客の入り。インターネットの相対的評価を鵜呑みにせず、プロファイルのようにさまざまな情報を収集し、積み重ね、型通りのマニュアルからはなれたとき、感覚は研ぎ澄まされる。やがてひと筋の光が差し、眼前に正しい道があらわれるのだ。そのようにして自分は、さまざまな場所でお気に入りの店を切り拓いて行ったように思う。

小さな雑貨店を営む後輩と、はじめてソウルを旅したときにもそうだった。現地に到着して3日目。少しずつ街の輪郭も見えはじめ、旅の本来の目的であった本や雑貨の買い付けも順調だった。サムギョプサル、ソルロンタン、カフェやコーヒースタンド、ワインバーなど食の方面の開拓も怠ることがなかったが、現地で過ごして数日。そろそろ地元ならではの、大衆的な料理に挑戦してみたくなっていた。3日目の買い付けで向かったヨニドンというエリアにある書店〈YOUR-MIND〉とは事前に取引があって、書店が刊行する小さな出版物を仕入れていた。その店のオーナー、イロさんからお願いしておいた出版物を直接引き取るのも今回の旅の目的だったのだ。

地下鉄に乗り、マンウォン駅で降りてしばらく歩くと、閑静な住宅街があらわれ、立派な門構えの白い建物が見えてくる。その施設の2階にYOUR-MINDがあり、さっきからひっきりなしにたくさんの若者が店に吸い込まれるように入っていく。カウンターに座っていたスタッフと思しき女性に話しかけると、ちょうど展示の設営中だったイロさんを呼んできてくれた。「外で少しお話ししましょう」とはるばる日本から来たぼくを労うように、外のバルコニーに座り、日本語も堪能なイロさんと(日本のテレビドラマを見て覚えたという)、街の西側に沈んでゆく夕陽を眺めながらたくさんの話をした。帰りしな、イロさんにソウルでおすすめの飲食店をいくつか教えてもらった。

後輩とソウル駅の近くで落ち合い、イロさんに教えてもらった店のうちの一軒、鍾路(チョンノ)という古い繁華街にある「全州食堂(チョンジュシッタン)」という食堂に向かった。その店では市場で仕入れた新鮮なサバやサワラ、サンマなどを入り口にある焼き場で焼き、焼き魚定食として提供してくれる。地元の常連客や近場で働く労働者たちがこよなく愛する店だという。

Google mapsに従って目的地に到着すると、市場の食堂のような、同じような外観の店が何軒も立ち並び、Tシャツを着た男性や年配の女性が外の焼き場で魚を焼いている。看板がハングルで書かれており、目的の店がどの店か判然としないのだ。このようなときこそ、長年積み重ねてきた自分の勘を発揮する場面である。外観の印象、中で食事をしている客の雰囲気を精査し、立ち並ぶ店のうち、一番左の店で間違いないと判断した。

引き戸を開けると、仕事帰りのサラリーマンと思しき中年男性二人組、肉体労働に従事しているであろう若い男性がひとり、観光客と思われるカップルなどたくさんの客で店は賑わっていた。店員のおばさんにテーブルに案内され、座るやいなやハングルと日本語で書かれたメニューを真剣に見つめる。イロさんからはサバと、コチュジャンで甘辛く炒めたイカ炒めを必ず注文するように指示されていた。まずはTERRAビールと、サバ焼き、そしてイカ炒めとライス。買い付けでソウル中を回ってクタクタになった体にビールが染み渡る. しばらくして焼き魚がテーブルに置かれる。日本の定食屋で見かけるような、なんの変哲もない焼き魚である。

身を開いた大きな焼き魚。塩加減もちょうどいい。焼きたてのその魚が美味いのなんの。続いてやってきたイカ炒めと交互に食べる。そしてビール。最高である。続いて、「コンギパッ」と呼ばれる銀色のステンレスの容器に入ったご飯と、ナムル、キムチなどの副菜、そして日本の味噌汁のような汁物がやってくる。魚を釜で一人前ずつ炊かれた白米にナムルやキムチと一緒に乗せ、口に運ぶ。至福とはこのことだ。汁物には納豆が入っているという。これもなんだか懐かしくて美味い。日本の焼き魚定食を食べているような錯覚に陥る。最後にスンドゥブチゲを注文。すべてを混ぜ合わせて交互に口に運ぶ。永遠に食べていられる、最強のコンビネーションである。

残った二本目のビールを飲み干し、満腹で店を出て、夜のソウルの街を後輩と腹ごなしに歩いてみた。古くからの街路。高層ビル。不夜城のようにギラギラと輝くネオン街。こうした風景とともに、「その街で何を食べたか」という味の記憶も、旅の思い出としていつまでも舌に残り続ける。街の外側だけをなぞるのではなく、土地の味を探し、その場所でしか味わえないものを味わうことで、風化しない記憶というものも生まれる。地球上のどこを歩いても、そうした経験をこれからも大事にしていきたい。

早坂大輔

岩手県盛岡市の書店〈BOOKNERD〉店主。1975年、宮城県生まれ。会社員を経て、2017年に〈BOOKNERD〉を開業。書店経営の傍ら、出版も行う。著書に『ぼくにはこれしかなかった。』(木楽舎)。

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