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カート

カートが空です

追憶のジンは、 いつか誰かの一杯に。

追憶のジンは、 いつか誰かの一杯に。

最近、じっくり、しっぽり、自分や大切な人と向き合う時間を取れていますか? さまざまな人に「とある夜の一杯の嗜み」についてのエッセイを書いていただく連載「今宵の一杯。」
お酒でもノンアルコールでも、しっぽりとした今宵の一杯を──。 第10回は、クラフトジン「HOLON」の代表、堀江麗さんによるエッセイです。

  • 執筆:堀江麗
  • 編集:あかしゆか

試作した文旦のジンを持ち帰ってきた。 ジン作りを始めて5年経ったこともあり、ずっとやってみたかったドライなスタイルに挑戦したのだ。

ストレート、ロック、ソーダ、トニック……。 ゆっくりと味わっていく。

うーん、まだアルコールは荒い。それが理由なのか、あちこちに意識がいってしまう。それでもゆっくりと口をつけていくうちに、拠り所になっている感覚を回想し始めた。

──2018年12月14日。 私はジンに出逢った。それはどこか満たされない想いを抱えながら、社会人を迎えて少し経ったある時のことだった。

渋谷の線路脇の小道に突すじとして現れた大きな黄色と赤が基調のベルテントと白いキャンピングトレーラー。 その前には「バー」の看板が立っている。数人で少し呑んだあとに少し酔い覚ましに歩いていた私は、アリスの世界に迷い込んだような不思議な佇まいに惹かれて中に吸い寄せられていった。

「ちょっと、寄って帰らない?」

当時飲み会が苦手で、二次会に行くことがほぼない自分からそんな言葉が出たことに自分でも驚いた。何か知らない世界に出逢えるかもしれない、そんな期待で胸が高まっていた。

トレーラー内は小さなバーカウンターになっていて、数々のボトルが並んでいた。ボトルやラベルが色とりどりで、美しい。外観とは一転して香水屋のような佇まいに一瞬で胸を奪われた。

「世界中から集めてきたクラフトジンのお店です。 好きなボトルを手にとって、飲みたいものを選んでくださいね。」

お店のコレクションを一つずつ開けて、夢中で香りを嗅いでいった。一瞬で、色々な国を、色々な地域を、そして色々な人のもとを旅しているような感覚になった。お気に入りのボトルを店主に預けて腰をかけた。

ベルテントの中は間接照明で落ち着いた色調だった。そこにさっき夢中で選んだボトルの一杯が運ばれてくる。胸の高まりを感じながら無色透明の液体を口にした瞬間、鮮烈な植物の香りが顔いっぱいに覆った。飲んだあとの香りの広がりも心地よい。香りの余韻で自然と自分の呼吸も穏やかに、深くなっていった。

この瞬間、私は、ジンに恋に落ちた。

「飲み物」「お酒」という括りで捉えてしまうのがもったいない程の香りの没入体験に出逢ってしまったのだ。

──ふと、グラスに視線を戻す。 氷が少し溶けて、文旦の香りが先ほどより穏やかに立ち上っている。もう一度、口に含む。

不思議だ。 さっきまで「荒い」と感じていたアルコールの輪郭が、少しだけ柔らかくなっている気がする。正確には、お酒が変わったわけではないのだろう。変わったのは、私の感覚の方だ。記憶を一度くぐらせた舌は、目の前の一杯のなかに、地続きの何かを探し始めている。柑橘の皮の苦み、その奥にひそむ甘み、鼻に抜けていく爽やかな植物の余韻。まだ未完成だ。それでも、ここには確かに、あの渋谷のトレーラーで私を迷い込ませた香りと、同じ何かがある。

7年半前、私を魅了したのは「完成された一杯」ではなかったのかもしれない。ボトルの向こうにいる誰かが、植物と向き合い、土地と向き合い、自分の感覚と向き合った、その痕跡だったのだと思う。香りのなかには、いつも誰かの問いが、静かに息づいている。

私にはまだ引き算のお酒が作れない。 もしかすると、主張の強さは性格からくるのかな。そうだとしたら、自分の性格が柔らかくなるまで、目指すお酒が作れる自分はお預けだ。理想のジンをつくるまでの時間は、まだ遠い。

けれど、遠いからこそ、明日も蒸留器の前に立てる。 遠いからこそ、文旦の皮を剥く手元に集中できる。 遠いからこそ、いつか誰かの「今宵の一杯」になる日を、急がずに待つことができる。

グラスを置く。 窓の外はとうに夜が深い。 私の一杯は、まだ理想には届かない。 それでも今夜、この一杯と確かに向き合えた。 それだけで、十分な夜だった。

堀江麗

1992年生まれ。Google Japanに勤務の後、クラフトジンHOLONを創業。東洋の植物を用いた飲料を通して“飲む瞑想” 体験を提案する。蒸留や調香を起点に、持続可能な植物素材の活用に取り組む。

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