
会社が5期目になり決算が間近に迫る中、私は真っ暗な悩みの底にいた。今まで右肩上がりで事業が成長していた中、今期はもしかしたら前期よりも業績が悪いかもしれない。
「売上を伸ばさないといけない」
私は周りの経営者たちの華々しい業績と自分自身を比べ、ただただ焦る気持ちだけが募っていた。
先輩にアドバイスをもらおうと会食に出かけた夜、ふと帰り道にバーの看板が目に入る。まだ時間も早いので、一杯だけ飲んで帰ろうと2階の小さな扉を開けると、そこはラム酒専門のバーだった。
店主から「何にしますか?」と尋ねられ、ラム酒に詳しくない私は一瞬たじろぐ。昔飲んで美味しかったラム酒の写真がスマホにあることを思い出し、写真フォルダの検索欄に「酒」と入力し、目当ての一枚を見つける。
「参考になるかわからないけれど、このラム酒は好きでした。何かおすすめはありますか?」と言って、私はその写真を店主に見せた。
「それはロンサカパですね。ちょっと甘めのラムです。実はラムは辛口のほうが多いので、まず甘口と辛口の真ん中あたりのものを飲んでみて、そこから好みを探っていくのはどうでしょう」
大きく頷いて、まずは勧められたジャマイカのラムを飲むことにした。華やかで飲みやすい。
興味津々でラム酒について尋ねていると、店主は淡々と話し始めた。
「ラム酒の歴史は、世界の侵略の歴史でもあるんです。イギリス領か、スペイン領か、フランス領か、植民地にしていた国が製法にも大きな影響を与えています。例えばフランスが統治していた島では、サトウキビの搾り汁をそのまま蒸留するスタイルが生まれました。植民地の歴史が、ラム酒の味そのものを作ったんですよ」
サトウキビ、という言葉を聞いて、ほろ酔いの頭に遠い記憶がゆっくりと浮かんでくる。10年ほど前、私がまだ会社員だった頃、出張で南米にあるパラグアイのとある町を訪れたことがあった。支援活動を行う日本人の方を取材し、ドキュメンタリー番組を作るという仕事だ。
町にはかつて、大きなサトウキビの加工工場があり、町の人たちはみんなそこに勤めていた。けれどその工場が倒産し、町民のほとんどが仕事のない困窮した生活を送っていた。そんな中、新しい環境の中で彼らが生計を立てるための支援をしているのが、取材していた男性だった。
彼と一緒に、小さな村のお母さんたちが集う家にお邪魔したとき、彼は彼女たちに家計管理の方法を教えていると話していた。一緒に豆の皮を剥きながら、この豆を市場で売ったらいくらになって、それで生活に必要なものを買って、残りは貯金する、みたいな人が生活する上での基本的なことを教えていく。
「働くという選択肢がなくなってからずいぶん経ったことで、町の人たちは働くということ自体を忘れてしまったんです」
彼がインタビューで答える。
当時の私には、それがどういうことなのかよくわからなかった。
彼女たちは豆を剥きながら、何かに急かされることもなく、のんびりとした時間を過ごしていた。
庭には豚や鶏が放し飼いにされていて、子どもたちがその周りを走り回っていた。美味しい手料理でもてなしてくれて、テラスにある食卓を囲みながら、初めて食べる鶏の頭が意外に美味しいことに驚いた。美味しい美味しいと私はお腹いっぱいに料理を食べていたら、赤土の上を走る牛車に乗った青年が、こちらに笑顔を向けていた。それはとても豊かな時間で、ここでの暮らしも悪くないだろうという気持ちになった。
けれど工場はなく、お金もなく、私が当たり前だと思っていた「働いてお金を稼いで生活する」という前提が、そこにはなかった。何が幸せなのか。何が豊かさなのか。私の生きていく上での前提条件が、ぽろぽろと崩されていくような体験だった。
ラム酒の入ったグラスを傾けながら、忘れていたパラグアイの記憶を思い出し、今の自分と重ねる。
ひとりではじめた会社も5期目になり、社員は6人になった。フルリモートの働き方を採用し、住む場所も世代もバラバラで、お金への価値観も、働くことへのやりがいも、何を幸せと感じるかも、それぞれ違う。
私はいつも自分に問い続ける。創業時から変わらず掲げる「日常に、深呼吸を届ける」というミッションを体現できているのか。資本主義の中で事業を広げながら、社会的意義のあることができているのか。社員たちは健やかにやりがいをもって働けているのか。
シンプルにこれだと言える正解はまだ持っていない。様々な矛盾を抱えながら、考え続けて、失敗もして、少しずつ輪郭をつくっていくしかない。
ラム酒は、世界市場で売れる作物だけを集中的に作らせることで、その土地の暮らしも社会の構造もがらりと変えていった歴史の上にある。いわゆるモノカルチャーといわれるものだ。人の幸せはお金では買えないけれど、私たちはそのお金との価値交換システムの中で生きている。
そこからぽーんと放り出されたとき、人はどう生きていくのだろうか。パラグアイで出会った人たちが幸せかどうかは、私には分からない。幸せの測り方は人それぞれだけど、それがきちんと選択できる世の中であってほしい。
私たちは自分で決めていいのだ。何が幸せか、何が豊かさかを。
私は周りと比べ、ただ売上を伸ばさなければという焦りに囚われていたけれど、会社という船の舵を切るのも、進む先を決めるのも、船長である自分自身だ。心地よいお金と仕事と幸せのバランスは、自分たちでデザインできる。
「どれが一番好みでしたか?」
グラスをじっと見つめていた私に、店主が話しかける。
目の前には飲んだばかりのジャマイカ、マルティニーク、ラオスでつくったラム酒たち。その視線の先には、まだまだ知らないラム酒が棚にたくさん並んでいる。
自分の好みは、もう少し時間をかけて探ってもいいかもしれない。
一杯だけ飲むつもりだったのに、三杯目のラム酒でだいぶ酔いが回って、こころの中でぐるぐるしていた塊はゆっくりと溶けていった。きっと明日になれば私はまた、ぐるぐると性懲りもなく悩み続けるだろう。
けれど今夜だけは、ラム酒にやさしく溶かしてもらおうじゃないか。





