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効率やコスパより、まずは哲学を。

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「わざわざで働くって、どんな感じなんだろう?」

このインタビュー連載は、「わざわざで働く」とはどんなことなのかをリアルに知っていただくために始まりました。
今わざわざで働きながらキャリアを形成しているスタッフに、実際に働く中でどう感じてきたか、わざわざで見つけた「働く」とはどんなことか、などを聞いていきます。

3人目は、しくみ部とおみせ部を兼任している尾﨑さん(入社2年目)。10年以上にわたり東京のベンチャー企業でEC事業全般に携わり、キャリアを積んできた尾﨑さん。長野への移住を機にわざわざに転職した尾﨑さんは、今どんな働き方をしているのでしょうか。

  • 執筆:土門蘭
  • 撮影:若菜紘之
 プロフィール
尾﨑絵美(おざき・えみ)
1983年広島生まれの40歳。大学卒業後に上海に語学留学したのち、現地で日本人向けのフリーペーパーの編集・デザインに従事。帰国後、東京にてベンチャー企業2社で合計12年、飲食のEC事業の運営全般に携わる。2021年7月、東御市への移住を機にわざわざに入社。現在はしくみ部として経営に関する業務を担いながら、おみせ部として問touの運営も行っている。

東京のベンチャー企業を経て、わざわざへ

ー尾﨑さんは、わざわざに入社する前はどんな仕事をしていたんですか?

大学を卒業してから上海に3年ほど住み、そこで日本人向けのフリーペーパーの編集・デザインをしていました。その後は東京で12年ほど、飲食のベンチャー企業2社で、EC事業に携わりました。楽天やYahoo!への出店、材料の発注、原価計算、物流倉庫の移転、お問い合わせ対応から社内調整まで、EC事業全般を担当し、2社目ではその後、会社の上場のための業務を行ったり、会社全体の基幹システムの導入も行いました。それが最後の仕事でしたね。

 

ーもともとベンチャー企業でバリバリ仕事をしていたんですね。そこからなぜわざわざに?

2社目に勤めていた頃に結婚したのですが、コロナ禍で東京も感染がひどかったこともあり、夫と「どこかに移住しようか」と話し合っていたんです。二人とも山が好きだったので長野に住もうと決めたのですが、そうしたら社内の人に「東御市がいいよ」と教わりました。行ってみたらほどよく田舎で、そこまで不便でもなく、景色も良くて。わざわざが東御市にあることを知ったのは、移住を決めた後でした。

 

ーわざわざのことも、もともと知っていたんですね。

はい。わざわざについても、社内の人から「いい会社があるよ」と教えてもらっていたんです。平田さんのnoteを読んで素敵な会社だなと思っていたのですが、まさか東御市にあるとは知らなくて。だけど改めてわざわざのことを調べたら、年商規模が自分が勤めてきた企業と同じくらいだったので、これまで培ってきたキャリアでお役に立てるのではないかと思い、わざわざに応募しました。

 

ーわざわざで入社してからは、どんな仕事をしているのでしょう?

今は、しくみ部とおみせ部に所属しています。しくみ部では「社長係」をしており、主に平田さんのサポートや、新規事業にまつわること、数値目標の管理・報告、採用の面接などを行っています。最近ではアメリカの企業認証「B Corp」取得のための業務や、助成金の申請などもやっていて、会社の基幹的なことをいろいろ担当しています。

また、お店の研修をきっかけに問touに入ることも多くなり、最近では常駐するようになりました。今はおみせ部にも在籍しており、接客販売、発注やシフト作成、イベント準備なども並行して行っています。

「フラットな関係性」って本当にあるんだ

ー「わざわざではこんな働き方ができたらいいな」と期待していたことはありましたか?

東京の1社目では上司と私しかいなくて、チームで動くということをしたことがありませんでした。一方で2社目では中間管理職になり、部下のマネジメントをするようになったのですが、そのうち自分が無意識に上下関係で人を見るようになっていたことに気がついたんです。「上司だからどう」とか「バイトさんだからどう」とか、肩書きに対する偏見が知らず知らずのうちに育っていて。そんな自分が嫌で、新しい職場では「上下関係なく、みんなとフラットに働けるようになりたい」と思っていました。

また、もともと私は仕事がすごく好きで、ひとりで一所懸命やるタイプなんです。人ができないことを努力して成し遂げたり、そのためにめちゃくちゃ残業したり……でもそんなやり方をしていると、「自分はこれだけやっているのだから褒めてほしい」と見返りを求めるようになって、仕事にしがみつくようにもなっていました。それで「次からはそんな仕事への執着を捨てて、自分が持っているものを手放して還元したい」とも思うようになったんです。わざわざでは、そのふたつを実現できたらなと思っていましたね。

 

ーこれまでの仕事のやり方を変えようとしたタイミングでもあったんですね。実際にわざわざで働くようになった時は、どんな印象を持ちましたか?

当初イメージしていた「ベンチャー企業感」は想像通りでした。常に忙しくて、回転が速くて、チャレンジし続けている。予想外で驚いたのは、代表の平田さんがすごく細かいところまでご自身で仕事をしていたことです。例えばバナーを作ったり、イラストを作ったり、問touが忙しい時にはコーヒーを淹れたりもしていて。

社長って普通は「えらい人」というか……「これは社長の仕事だ」とか「社長の仕事じゃない」とか線引きがあるはずなのに、それがないのが驚きでした。人手が足りなければ自ら動くし、質を高めるために自ら手を動かす。すごいなぁって思いましたね。多分、平田さん自身は社長業に専念したいと考えているとは思うのですが。

ただ、私が目指していた「フラットな関係性」が本当にあるんだということには感動しました。わざわざでは、アルバイトと社員の関係性に垣根がないんです。バイトさんだからどうとか、逆に社長だからどうというのもない。あとから「あの人アルバイトさんなんだ!」って気づくこともあったりします。

 

ーそれでは、尾﨑さんが期待していた「上下関係なくフラットに」ということは叶えられているんですね。

そうですね。今は週5で問touにいるのですが、もともと私は接客については未経験に等しいんです。手先が不器用で料理も苦手で、できないことだらけ。でもすぐそばに手先の器用なアルバイトさんがいるので、その方に全部助けてもらっています。自分にできないことを人に頼れるようになったのは、すごく大きな変化だと思います。

ーその変化を起こせたのはどうしてだと思いますか? わざわざの社風も関係あるのでしょうか。

わざわざって基本的に残業が禁止なんです。私は以前の会社では残業しまくっていたのですが、ここではそれだと評価が低くなってしまうんですね。だから本当に時間を無駄にできないんです。苦手なことを自分で抱え込んでいる場合じゃない、ちゃんと人に頼らないと……と仕事のスタンスが変わっていきました。それはかなり大きかったですね。

「お布施」をするように働きたい

ー仕事に対するスタンスとともに、考え方も変わっていきましたか?

すごく変わりましたね。前の会社でEC業務をやっていた時は、いかにコストを下げ効率的にこなすかばかり考えて、お客様のことをあまり見ていなかったように思います。仕事についてちゃんと考えたり、哲学を持つこともなかったなぁと。

だけど今はお店でお客様が喜ばれる姿を目の当たりにしているので、自分が喜びを提供しているんだという実感がすごくあるし、「お客様に喜んでいただくために何ができるか」を考えるようになりました。そのきっかけは、平田さんに言われた言葉です。入社したばかりの頃は、例えばイベントを企画する時など「自分が準備できるかどうか」から考えていたのですが、平田さんに「まずはお客様に喜んでもらえるかどうかから考えるべきだよ」という指摘をもらったんです。わざわざでは考え方の順番が違うんだと気が付いて、ハッとしました。

 

ー「効率」や「コスパ」から考えるのではなく、「お客様に喜んでもらえるかどうか」から考えよう、と。

はい。そんなふうに考えるようになってから、仕事のおもしろさも変わっていきました。今までは、難しい課題をこなすのが楽しかったんです。勉強して努力して、できなかったことができるようになる。それが仕事のモチベーションでした。

だけど、わざわざでは「できないことにチャレンジする」というより「できないことを助けてもらっている」感じ。今までは自分のことばかり考えて仕事をしてきたけど、今はいろんな方と協力し合うことで、自己満足じゃないもっと大きな仕事に携われている気がします。自分のために働いていたときは深く考えなくてもよかったけれど、人と関わって広げていくときにはよく考えないといけない。だから哲学が必要になるんだなって気がつきました。

 

ー今、尾﨑さんにとっての仕事の哲学とはどんなものでしょうか?

私は仏教が好きなのですが、道元さんは「お布施」について、お金を渡すことではなく、自分の中にあるものを相手に渡すことだと言っています。お布施することによって世の中のためになると同時に、自分の執着も一緒に手放すという考え方なんです。

私はお布施できるもの自体が少ないですが、わざわざで働くことでそれに近づけているような気がします。わざわざ自体が世のためになることをしているので、わざわざを通して社会貢献できるよう、自分の中にあるものを手渡しながら働きたい。それが今の私の哲学ですね。

みんなと同じことをしない、孤高のパン屋

ーちなみに、わざわざを「辞めたい」と思ったことは?

移住するまでペーパードライバーだったので、車で山道を走った時は本当に怖くて「ここでやっていけるのか」と不安になりましたが(笑)、それ以外では特にありません。基本、私は正直で嘘がつけないタイプなんですが、わざわざでは嘘をつかず自分らしくいられるのが嬉しいです。

例えば私は原色が好きで、よく黄色いモンペを穿いているのですが、それってわざわざっぽくないと思うんです。わざわざはもっと落ち着いたイメージがあると思うので。だけど私が黄色いもんぺを穿いていても、「それ、わざわざらしくないね」なんて言われない。「好きで穿いているならそれでいいよね」という感じ。わざわざらしさに合わせなくていいし、同調圧力を感じないのは、すごく居心地がいいなと思います。

 

ー最後に、わざわざを一言で表すとどんな会社か教えてください。

やっぱり「山の上のパン屋」ですね。群れないし、媚びないし、孤高感がある。みんなと同じことをしていないから、普通じゃなくてすごくユニーク。その分、ちゃんとしっかり考えている会社だと思います。

外から見たら、「山の上のパン屋」ってメルヘンチックな理想郷に思われるかもしれません。でもベンチャーだから展開が速いし厳しいし、試行錯誤やチャレンジが当たり前。全然メルヘンじゃないんですよね。ただ、残業はないしボーナスは出るし、健康診断も受けられます。まだ若い会社だけど、労働環境はすごくしっかりしている。ちゃんと考えて整えられた、いい会社だなと思います。

土門蘭

文筆家。1985年広島県生まれ、京都在住。小説・短歌などの文芸作品や、インタビュー記事の執筆を行う。著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』(寺田マユミ氏との共著)、『経営者の孤独。』、『戦争と五人の女』、『そもそも交換日記』(桜林直子氏との共著)がある。2023年4月には、2年間の自身のカウンセリングの記録を綴ったエッセイ『死ぬまで生きる日記』を上梓。同作品で第一回「生きる本大賞」受賞。

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