コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

「よき人生とは、迷いながらも 幸せを探し続けられる人生」。 GOOD LIFE #06 井手直行

「よき人生とは、迷いながらも 幸せを探し続けられる人生」。 GOOD LIFE #06 井手直行

オフィスの扉を開けた瞬間、カランカランと鐘の音が鳴り響く。「ようこそ」と書かれたうちわを持った社員さんたちが全員立ち上がり、満面の笑顔で出迎えてくれた──その中央に立っていたのが、ヤッホーブルーイングの代表取締役社長である井手直行(いで・なおゆき)だった。

星野リゾートのグループ会社として、1997年に創業したヤッホーブルーイング。「よなよなエール」「水曜日のネコ」など、そのクラフトビールの名を知らない人は今やほとんどいないのではないだろうか。創業時から同社の営業に携わり、今では社長としてどんどんその船を大きくしている井手。彼の笑顔や立ち振る舞いは、周囲の雰囲気をパッと明るくする。平田も「井手さんは、本当にエンターテイナー」だとその人柄を尊敬してやまないという。

そんな井手は、ヤッホーブルーイングの軌跡そのものが自身の「よき人生」につながっていると語る。けれどもその軌跡は、決して順風満帆なものではなかった──。

年齢・性別・職業問わず、今を生きるさまざまな人たちに「よき人生とは何か?」を問うていく連載企画「GOOD LIFE」。第6回は、株式会社ヤッホーブルーイング代表取締役社長・井手直行に話を聞きに行った。

  • 執筆:あかしゆか
  • 撮影:若菜紘之
  • 編集:あかしゆか

ずっと、仕事に対してどこか「他人事」だった

井手:平田さん、よく来てくださいました!

平田:こちらこそありがとうございます。いつもみなさんの歓迎には感動しちゃいます。

井手:ははは。やっぱりせっかく来てくださったのだから、精一杯おもてなしをしたくって。

平田:このオフィスは、井手さんがよく通っていたパチンコ屋の跡地を借りてつくられたものなんですよね。

井手:そうです(笑)。本当に僕は、ヤッホーの社長に就任するまでずっとフラフラしながら生きていたので。

平田:ではまずは、井手さんが「フラフラ」していた時期のことからお話を聞いてもいいですか?

井手:もちろんです。僕は北海道出身で、親の仕事の都合で引っ越して福岡の高専に通い、卒業してすぐに就職で東京に上京しました。中学校まで勉強はできたほうだったのですが、勉強しすぎて途中で参ってしまって「受験勉強をしたくない」と思い、そのまま高専に入ったんです。

電気工学科だったので電気系の会社へ就職する人が多く、僕もなんとなく就職するかという感じで、その時に唯一興味があった音楽関連の、当時カセットテープの世界シェア上位を占めていた会社にエンジニアとして入社しました。

でも、音楽の仕事がしたかったのに、配属されたのは当時急成長していたコンピュータ関係の機械装置を作る部署で。ショックだったけど、会社の花形の部署ではあったので、みんなが持ち上げてくれるしすごくチヤホヤされて(笑)、まあ楽しみながら働いていたんです。

平田:最初井手さんがエンジニアとしてキャリアを始められたと知った時には驚きました。

井手:そうなんですよ。でもそれは、「やりたい」と思ったからというよりは、流れでそうなった感じに近いです。働いて5年ぐらい経った頃に、ちょっと物足りないなと思いはじめました。

BtoBの仕事だったので、自分の仕事で直接誰かが喜んでくれている実感があんまりなかったんです。もっと実感が湧く仕事をしたいなと思ったとき、幼い頃から興味があった「自然」とかかわれる、環境アセスメントの会社を見つけてそこに決めました。当時の上司と、「生意気ですけど、この会社でやりたいことは十分やったんで、次もっとやりたいことやります!」「いいな~お前気軽で」なんてやりとりをして。

でも次の会社では、僕が世間知らずだったからか理想と現実のギャップがすごくて、そこも違うと思って半年ぐらいで辞めましたね。

平田:そのあとに、旅に出かけられたんですね。

井手:そうです。次の仕事を決めずに辞めたので、半年ぐらい仕事をせずに、パチンコで生計を立てながらずっとバイクで日本中を旅していました。

平田:旅では何か見つかりましたか?

井手:明確な何かを見つけたわけではなかったのですが、実感したことは二つあります。それは、僕は「人」と「自然」が好きなんだなあということ。

旅をしている中でキャンプ場に泊まると、僕と似たような人がいっぱいいて意気投合するわけですよ。「俺らは社会に適応できないな~」みたいな話を夜に焚き火しながらやって翌朝バイバイ、みたいな感じがすごく楽しくて。

そんな経験があって”人が好きなんだな”と思ったのと、北海道をずっと回っているときに”自然いいな”と感じて。東京はあまり肌に合わないと思っていたので、次に住むんだったらこういう自然のある場所がいいなと思いました。

それでいよいよパチンコしながらもお金がなくなってきたので、自然豊かな北海道か長野で仕事を探そうと思っていたら、たまたま軽井沢の広告代理店の求人を見つけて入社することに。でもその会社も長くは続かず、結局パチンコ生活に逆戻りでした。

平田:いやあ、たしかに流れるように生きていらっしゃいますね(笑)。

井手:そうなんです。仕事に対して、ずっとどこか「他人事」だったんですよ。僕が勤めた会社は、当時3社とも業績がすごくよくって、僕なんかいなくても経営に何も影響しないし、なんなら辞めたらもっと優秀な人が入ってくるわけなので、自分がいなくてもいいなと思ってた。もちろんいろんなことがありましたが、何があっても目が覚めなかったですね。

目が覚めたのは、37歳の時

平田:そんな井手さんが、今ではヤッホーブルーイングひとすじで働かれていますが、そうなるまでにはどんな出来事があったのでしょうか。

井手:まず、長野の広告代理店に勤めている時に、星野リゾートの営業担当をしていたんですね。当時星野リゾートは、まだ軽井沢のちいさなホテル会社だったんです。オフィスに行くといつも星野(佳路)がいて、営業に行くたびちょっと冗談話みたいなのをしていて。

それで、風の噂で「井手が広告代理店辞めてフラフラしてるみたいだ」と星野が聞きつけてくれたみたいで。ちょうどヤッホーブルーイングの立ち上げ時期だったので、「元気なやつが暇そうにしてるから誘え!」みたいな感じで、一緒にやらないかと声をかけてもらったようです。

平田:時代背景としては、クラフトビールが流行り始めてたんですよね。

井手:そうですね。当時はクラフトビールではなくて「地ビール」という呼び方でした。星野がこの会社を創業したきっかけは、アメリカでいちはやくクラフトビールを体験して、「こんなに美味しいビールが日本にないのはもったいない、きっと日本に紹介したらビジネスになるに違いない」と思ったこと。家業の星野リゾートをしながら、全く違うビール製造業で創業したのがヤッホーブルーイングです。

佐久にある一番大きな醸造設備は28年前のものなんですけど、当時も今も、規模は日本のクラフトビール事業者の中ではもっとも大きいんですよ。それを30年も前に、星野リゾートの売り上げの相当をつぎ込んでやるんだから、本当にクレイジーですよね。

平田:井手さんは星野さんに誘われた時に、そういった規模感は分かっていたんですか?

井手:分かってない分かってない。だってパチンコしかしてないんだもん。全然分かんないですよ(笑)。

平田:あはは。入ってみてどんな感じだったんですか?

井手:いや、すごかったですよ。当時は社員として、星野と、星野の弟(星野究道。現・星野リゾートの専務で、ガバナンスや財務担当)と、現地の責任者がいたんですけど、みんなとにかく賢くて。現地の責任者もMBAを取っていて、こんな田舎の会社で、言っている意味が9割ぐらいわからないビジネス用語を喋る人たちがいる!みたいな。

一方で、ぼくは全然よくわからずに、言われたことをただやるだけ。何かすごいことをやる会社なんだなと、他人事のように見てました。

平田:この時もまだ他人事だったんですね。

井手:そうですね。ちょうど日本は地ビールブーム真っ只中だったので、需要がすごくあって。入社した時からしばらくは、営業に行かなくてもじゃんじゃん注文が来るので、むしろ殿様商売でした。

最初の会社で天狗になっていたのと同じように、製造量より注文の方が多いので、僕が割り振るわけですよ。「すいません、あなたのところは今回は注文の半分ぐらいしかお渡しできない」「いやそこを何とか井手さんお願いします」「いやぁ~ね~」みたいな、ちょっと横柄な感じで……。

お酒の業界には昔からの習慣もいろいろあるんですけど、僕らは素人が集まってやっているから分からないし、僕なんかそもそもちゃんとした仕事もあんまりしてこなくて自由気ままにやっていたから、かなり生意気だったと思います。僕の対応に対して不満が出ていることを、先方の会社の窓口の人が抑えてくれていたようで、たまにぽろっと「井手さん、私が何とかまとめて丸くしてるんですよ」みたいなことを言われたりね。

平田:今の井手さんからは考えられないですね(笑)。

井手:そうですね。でも1999年を境に地ビールブームが終わり、売上が下がっていったときに、はじめてこれは駄目だと思いました。だんだんよなよなエールの扱いがなくなっていくわけですよ。スーパー、酒屋、コンビニも。

営業に行くんですけど、僕が前に横柄な対応をしていたから立場が逆転して。「いや、井手さんね、よなよなエールはもう売れないから。地ビールブーム終わったから扱わないし、そもそも、あの時のあなたの対応をみんな恨んでますよ」みたいなことを言われて、当時の僕の態度がダイレクトに跳ね返ってきました。そこで初めて「そうか、僕は駄目だったんだ」ということに気づいたんです。

平田:そうか、そこで目覚めたんですね。

井手:売上は下がる一方で、どんどん社員も辞めていく。今回は前の会社と違って責任感もあったし、創業メンバーとして入ったことで会社への思い入れも強くあったので、踏ん張りたいなと思いました。

でも、業績も悪いし、営業に行っても「もう来るな」と言われる。星野は当時リゾート業の方で売り上げが上がり、「再生請負人」などとメディアで言われ、全国で破綻したリゾート業をどんどん立て直している時期でした。ぼくたちのことも気にかけてくれていたんですけど、なんせ本業が忙しいので全然タッチできなくて。どうしようもなくなって、星野に泣きついたんですよ。「みんな辞めるし売り上げも上がらない。どうしたらいいんですか」って。

そのときに彼が言ったのは、「まだ諦めるのは早いんじゃないか。とことんやってみようよ。とことんやって駄目なら、ビール事業を畳んで、2人で湯川で釣りでもしながら余生を過ごそうよ」と。

びっくりしたんです。こんなにもすごい経営者がまだ諦めてないんだと。まだやれることはあるんじゃないかと言われて、確かにやれていないことがあると思いました。星野は釣りなんて興味ないし、リゾート事業もうまくいっている中で、そんなことを言ってくれるんだと感動して、最後にもう一度信じてやってみようと思ったんです。

それまでずっと「売れない、何やってもうまくいかない、文句も言われる」と下を向いていたんですけど、それがきっかけで、久しぶりに前を見れるようになりました。

平田:それでインターネット通販に踏み出されるんですね。

井手:そうです。星野がそう言ってくれたあとにいろんなこと挑戦してみたんですけどそれでもうまくいかなくって、本当に最後に残ってたのがインターネット通販でした。

でも、インターネットは苦手だし、できるとも思っていなくて。どうしようかなあと思っていたときに、たまたま会社のロッカーの片付けをしていたんですよ。そしたら手紙が出てきて、なんだろうと思って見たら、「このたびは出店ありがとうございました。一緒にインターネットで世界を目指しましょう。楽天市場 三木谷浩史」という手書きの手紙だった。見つけたのは2003年のときでしたが、それはぼくたちが1997年6月に楽天市場に出店したときにいただいた、お礼の手紙だったんです。

当時の三木谷さんは、そうやって出店してくれた一店一店に手紙を書いていたんですね。2003年というと、楽天イーグルス球団が立ち上がった年で、楽天は上場もしてIT企業の大物として飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

こっちは同じ年に創業して、同じ年に楽天市場に出店しているのに、片や潰れそうでやばい会社。この差は何だろうと思ったときに、「信じられたかどうかの差なんだ」と思いました。インターネットの力を信じた三木谷さんと、インターネットの力も、クラフトビールの力でさえもあまり信じてない僕の差。だからまずは、自分がやっている仕事を信じてみようと思ったんです。

人を喜ばせることが自分の幸せであることに気付く

平田:井手さんの人生が変わるまでには、いまの日本を代表するカリスマ経営者のおふたりの存在があったんですね。

井手:そうですね。インターネット通販をはじめたことによって消費者の声を直接聞けるようになったことは、勇気をもらったし、クラフトビールを信じられる一つの要素になりましたね。

人数は少ないけれど、こんなによなよなエールを好きな人がいるんだと。インターネットだったら、日本中・世界に点在しているファンの人たちを結んで、僕らのビジネスでやっていけるんじゃないかと思えたんです。お客さんが喜んでくれることが自分の喜びになっていった。

平田:すごくわかります。わざわざでは顧客アンケートを取っているのですが、このあいだひさしぶりに見たら、最近の分が1200通ぐらい溜まってて。ずっと読んでたら泣けてきましたね。言葉が1個1個添えてあるのを見ると、やっててよかったなとか、このためにやってるんだなって大袈裟ではなく力が湧きますよね。

井手:本当にそう。人が喜んでくれたり、人のためになることは自分の幸せにつながるんだという気づきをあらためて得られたことは、一番大きな収穫でした。心を入れ替えて、仕事が終わって家に帰ってからもずっとインターネットをする日々。キャッチコピーの作り方、メルマガの書き方、トップページの作り方など、「楽天大学」という楽天がやっていた講座に通ってとにかく復習、実践の繰り返しでした。

そうやって楽天ショップオブザイヤーに選んでいただけるようになって、売り上げが回復していって、2008年には星野から社長をバトンタッチしてもらいました。

そこから、組織の改善にも力を入れていきましたね。もういろんなことがひとりでは回らなくなっていて、当時は業績が上向いてはきていたけどあまり社内の雰囲気もよくなかったので。ここからはチームワークをよくして一致団結していくことが大事だと思って、チームビルディング研修を取り入れてみたり。

30代前半の頃までは、僕は本当に生意気で、上からで、言葉も悪かったので、喋れば喋るほど問題が起きて僕も周りもずっとカッカして怒っているみたいな感じだったけれど、いろんな学びを通しながら、自分も少しずつ変わっていきました。自分の好きな方向に人生を転換できるようになっていったんです。

幸せだなと思える人生こそが「よき人生」

平田:ヤッホーブルーイングという信じられる仕事を見つけて、井手さん自身もヤッホーの変化に合わせて変わっていって今があるんですね。

あらためて、井手さんにとっての「よき人生」をお聞きしてもいいですか?

井手:そうですね。ぼくのよき人生は、やっぱりヤッホーブルーイングの軌跡そのもの。シンプルだけど、「自分が心から幸せだなと思える人生」なのかなと思いますね。

平田:ヤッホーのミッションも、『ビールに味を!人生に幸せを!』ですもんね。

井手:「幸せ」って人によって違うじゃないですか。名誉が幸せな人もいればお金があることが幸せな人もいる。そして幸せは、ひとつの要素だけでできあがるものじゃない。いろんなことを総称して「幸せだな」と思える人生でありたいですね。

僕にとっての幸せは、自分がようやくたどり着いたビールの仕事を通してファンの方が幸せだと言ってくれること、スタッフが働きがいがあって幸せだと言ってくれること、個性的なものを世に広める、このおもしろくて難しいビジネスに挑戦できること、自分の立てた戦略がうまくいくこと。ほかにも家族の幸せなどたくさんありますが、総合的に見て今自分は幸せだと思えることが、やっぱり一番の「よき人生」ですね。

あとは、幸せになるためにはポジティブな人間関係は欠かせないと思います。『Great Place to Work® Institute Japan』が選ぶ『働きがいのある会社』ベストカンパニーに9年連続で選んでいただいているのですが、エントリーしている会社には、ぼくたちよりももっとすごいオフィスを構えたり、給料も遥かに高かったりする会社もある。うちにはできていないことがいっぱいある中で選んでいただけているのは、人間関係とかやりがいとか、そういうところが際立って良いからなのかもしれないなと思います。

平田:わざわざも人間関係がかなりよくて、軋轢がなく平和なんですけど、「人は人、自分は自分」といったドライな部分はあって。井手さんのような明るくてポジティブな仲の良さを作っていったらもっとよくなるのかなと思ったりもしましたが、やっぱり井手さんと私の性格が違いすぎるから無理だな、と話を聞いていて思いました(笑)。

井手:でもね、僕はスキルとしてやっているだけで、実はそんなに明るい人間じゃないんですよ。僕のアシスタントをしてくれているスタッフなんかは、しょっちゅう「パーティーやりましょう!」とか言って、人間関係が円滑になるような企画をして盛り上げてくれているんですけど、彼女は天性でそういうことが好きなんだなと見ていて思います。僕はスキルとして大事だと思うからやっているだけで、人間関係構築力っていうのはあまり高くなくて。

平田:そうなんですか?! どこのイベントに行っても、誰と会っても井手さんは笑顔で、何かちょっと詰まっているような空気を感じたら打開して面白くしちゃう。それを素でやられていると思っていたので、スキルとして努力してやられているというのは結構衝撃です。

井手:やっぱり、楽しい雰囲気がいいですからね。

平田:なるほどなあ……。「献身的」という表現が合っているのかわからないですけど、人のよろこび、幸せのためにちゃんと尽くしていく井手さんの姿勢がきっと事業にも返ってきていて、すごい効果が生まれているんだろうなとあらためて尊敬します。

井手:ありがとうございます。今日は取材を受けてよかった(笑)。

ぼくの人生は「お散歩型」なんです

平田:最後に、井手さんは「自分の道」を見つけられたのが割と遅めだったと思うのですが、自分の信じられる道が見つからなくて迷っている若い人に向けて、何か一言いただけますか?

井手:大丈夫だよ、と言いたいですね。

平田:やさしい!

井手:探せるから、と。僕なんてヤッホーは4つ目の会社で、それまでの履歴書だけを見ると「こいつ絶対採用したくない」みたいな感じなわけですよ。

この会社に入ってからも、10年くらいうだうだしていた。37歳になって、人差し指でパソコンでインターネット通販をはじめてから、少しずつ人生が変わっていって。ずっと楽しくないと思っていたのが、40歳手前にして「自分の天職だ」と言い出したんです。だから、大丈夫。探そうという気持ちさえあれば大丈夫だよと言いたいですね。

平田:私も遅咲きだったので、すごくわかります。

井手:ただひとつだけ。僕は振り返ってみると、フラフラしていながらも、自分の人生をずっと諦めていませんでした。「自分は何が楽しいんだろう? 自分はどうやって生きていったらいいんだろう?」ということをずっと考えて、迷って探していたのだと思います。それでようやく見つけられて、いま、すごく楽しい人生を送れるようになっている。

いまって、みんな早いじゃないですか。学生時代から起業したりとか。

平田:本当にみんな、はやいですよね。

井手:そういう人は、ゴールが見えていて、もちろん大変なこともあるだろうけどまっすぐに進んでいける。でもぼくは違った。とある人に「井手さんはお散歩型ですよね」と言われて、すごく納得したんです。

平田:いい言葉! わたしもお散歩型です(笑)。

井手:けど、ただぶらぶらお散歩してるんじゃなくってさ、探しているお散歩なんですよ。「幸せってなんだろう?」って。

散歩中は、もちろん不安ですよ。親にも心配かけて、「あなたは全然働いてないけど大丈夫なの?」とか言われて。でも、それでも諦めずに妥協せずにずっと探していたから見つけられた。

だから、ぼくを安心材料にしてほしいです(笑)。探し続けていたら大丈夫。僕よりもたぶん、早く見つけられると思いますよ。

平田:多くの若い人にとって井手さんの生き方は勇気になりますね。今日はありがとうございました!

あかしゆか

1992年生まれ、京都出身。大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。 現在はウェブ・紙問わず、フリーランスの編集者・ライターとして活動をしている。2020年から東京と岡山の2拠点生活をはじめ、2021年4月、瀬戸内海にて本屋「aru」をオープン。

あかしゆかの記事をもっと見る

特集