コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

よき人生とは、「無邪気」であれる人生。 GOOD LIFE #08 藤原隆充

よき人生とは、「無邪気」であれる人生。 GOOD LIFE #08 藤原隆充

平田は彼のことを、「兄」と呼んでそう慕う。事業で困ったことがあった時、誰かに話を聞いてほしい時──そんな時に、つい連絡してしまうのが彼だという。仕事も一緒にするけれど、それ以上に人として、信頼して安心できる存在。

藤原隆充。長野県松本市に本社を構える印刷会社「藤原印刷株式会社」の専務取締役。同じ長野の経営者という共通点もあり、ふたりは数年前から親交がある。

明るく、人懐っこく、天性の「人たらし」。平田がそう語る藤原は、どんな人生哲学を大切に生きているのだろうか。そこには徹底的に「衛星」として周囲に合わせるという、独自の生き様があった。

GOOD LIFE第8回では、藤原隆充に「よき人生」とは何かを聞いた。

  • 執筆:あかしゆか
  • 撮影:若菜紘之
  • 編集:あかしゆか

思春期、自分との対話はゼロ。とにかく「イケて」いたかった

平田:藤原さんは、いまは藤原印刷の本社がある長野の松本に住んでいるけれど、生まれ育ったのは東京なんですよね。

藤原:そうです。東京の国立市で1981年に生まれて、そこから27年間ずっと東京で育ちました。おばあちゃんの意向で保育園から塾に通い、小学校でお受験をして、小中高一貫の私立に通わせてもらっていましたね。

平田:ぼっちゃんだ…。小さい頃は、どんな子どもだったんですか?

藤原:とにかく人との壁がなくって、スクールカーストでいうと常に上位にいるような子どもでした。上位グループに所属できるようにうまく立ち回っていましたね。

ファッションとか、ポケベルとかピッチみたいな周りで流行しているものはちゃんと持って、トレンドに合わせていました。いつでも話についていけるようにしておくんです。流行りの洋服やスニーカーを買ったり。

平田:やばい、まったく共感できない(笑)!

藤原:でしょうね(笑)。

平田:なんで上位に属していたかったんですか?

藤原:見栄っ張りだったからだと思います。見栄っ張りで良い格好しいなのは、今もずっと続いていますね。

平田:そんな自分に対する虚無感とか、「なんでカーストについていこうとしているんだろう」みたいに思う瞬間はなかったんですか?

藤原:それがね、ないんですよ。「イケてるグループに属してる俺、イケてる!」って100%の気持ちで思っていたから。「自分とは何か?」とか「このままでいいのか」みたいな本質的な問いなんて全く考えなかったです。

とにかくイケてたい。それがすべてで、自分自身との対話なんてゼロでした(笑)。

平田:「とにかくイケてたい」は名言すぎます。今日ほどGOOD LIFEで共感できない日はない…。

藤原:でも、それは言い方を変えるとメタ認知ができる子どもだったということだと思うんですよね。中学からは男子校で、周りの同級生の親は医者とか、日銀の副頭取とか、誰もが知っているような企業の社長とか、そういう特異な環境だったから、どのポジションを取れば自分がうまく生きられるかをずっと考えていました。無意識的に、自分自身のことを客観的に見るクセがその頃についたんだと思います。

平田:なるほど。私もメタ認知で生きてきたタイプだから、そこは共通しているかもしれません。でも、「客観的に見てイケてるか」という軸では動いていないからそこは全然違いますね。トレンドを取るとか、みんなの中心にいることじゃなくて、自分の意見がしっかり言えたり、やりたいことを通せたり、そういうのがかっこいいと思ってたから。

藤原:根本的な部分は似ている部分もあると思いますが、幼少期の平田さんと僕は、たぶん本当に真逆ですよね。

惑星ではなくて、衛星的に生きてきた

藤原:僕の生き方は、昔からずっと「衛星」的なんですよ。惑星じゃなくて、その周りを回っている衛星。サッカー部は人数が多くて自分が埋もれてしまいそうだからバレー部に入ったり、いつだって行動基準が「ポジション取り」なんですよね。

平田:たぶん藤原さんが衛星的になったのは、周囲の環境が大きく影響しているんでしょうね。私は東京から静岡に引っ越ししてきて、当時は自分より優れた人間は周りにいないと思い込んでいたから「私が衛星になってたまるか!」と思っていた。

もし藤原さんのような環境で育ったら、私も衛星的になっていたのかもしれません。当時はインターネットもないし、世界を広く見られないから、自分の実力を測る時に周りに誰がいるかが目安になるじゃないですか。そこが違ったんだなぁと話を聞いていて思いました。

藤原:それはそうかもしれないですね。

平田:でも、そんな自分自身に空虚さを抱かず一貫して「イケてる衛星」でい続けられたのが藤原さんのすごいところですよね。

藤原:そこはたぶん、幼少期から周囲に寵愛を受けていたことが関係しているのではないかと思います。長女の初孫で、しかも初めての男の子。親戚一同からちやほやされて育ったので、自己肯定感が無意識でインプットされたのではないかと。自分の価値を信じることができたし、間違っているなんて思いもしない。だからこそ、疑いもせずずっと走り続けられたんだと思います。

平田:大学もそんな感じだったんですか?

藤原:はい、ただの遊び人でした。バイト4つ掛け持ちして、大学は最低限しか行かずに合コンばかり。この頃も自我との悩みは一切なかったです。

平田:清々しいなあ(笑)。

藤原:それだけ自分の中身とか、追いかけたいものがなかったんでしょうね。自分を掘り下げると、家業を継ぐっていうのは立場的にあるけど、他にやりたいこととか、大事にしていることとか全然ない。それでいいと思っていたから。

はじめての挫折で気づいたこと

藤原:でも、そんな僕ですが新卒でコンサルの会社に就職して、人生ではじめての挫折を経験しました。

平田:それは聞きたいです。

藤原:それまでの自分は要領の良さで生きていることは自覚していて、むしろ「要領の良さでどこまで生き抜けるんだろう?」と試していた節があったんです。入社してしばらくは、同期の中でも担当クライアント数が一番多くて順風満帆で、「やっぱできるじゃん!」と思っていたんですけど、ある時に僕の対応が原因で、クライアントが炎上してしまって。

でも、それを上司に報告できなかったんです。自分でなんとかできると思っていたから、誰かに助けを求めるとかお願いすることができなくて。人生ではじめて「どうにもならない」状態に追い込まれて、自律神経のバランスを崩して会社に行けなくなってしまったんです。当時、24歳かな。

平田:人に頼れなかったのは、恥ずかしかったから?

藤原:多分、自己肯定感の高さゆえだと思います。自信があってプライドが高いから頼めない。できる自分でありたいし、できる自分として見られたい。だから、何かミスやトラブルがあっても、自分で解決してなかったことにしてしまう。でもそれがどうにもならなくなってしまったんです。

平田:そうなるまで、周りの人からは何も言われなかったんですか?

藤原:上司からは、「余計なプライドを早く捨てろ」と強く言われていました。ちゃんとした大人には見抜かれていたんだと思います。うまく立ち回るだけだと生きていけないんだとはじめて気づいたのが、この時です。

あとは、働き始めて2年ぐらい経つと、一芸特化型の人がめきめきと頭角を現してきました。オールラウンダーよりも、「ここだけは誰にも負けない」という特殊能力のあるタイプがぐんぐん成長してきた時に、要領の良さの限界を少しずつ感じるようになって。このままのスタイルで人生やっていけるのか?と思い始めた頃に、ちょうど炎上案件でダウンしてしまった。

そこで人生ではじめて自分自身と向き合いました。自分は実は弱くて、空っぽで、本質的にはプライドを拭いきれない。そんな自分を変えなくてはいけないと思いました。

真の意味で「衛生」的な生き方が腹落ちした

平田:具体的にはどう変わっていったんですか?

藤原:まず、「一度、本気で何かに挑戦して一番にならないといけない」と思いました。全部平均点よりちょっと上というよりは、一芸で秀でないといけないなと。

だから転職をしてベンチャー企業に入ろうと思いました。最初の会社は一部上場の社員も700人くらいいて、1人辞めたから会社が傾くわけでもないし、自分が組織の歯車のような感覚がありました。なので、もう少し小さな組織で、自分がいないと会社が立ち行かなくなるような環境が自分を追い込めるんじゃないかと思って飛び込みました。

転職したのはネット系のベンチャー企業のたった3人の新規事業部でした。営業として入社して、1年以内に黒字化しなかったら事業を畳む。黒字化したら子会社化というわかりやすいミッションがあったので、ここで本気でがむしゃらに取り組めば、自分の武器が見つかるんじゃないかと思いました。

平田:がむしゃらにがんばってみて、どうでしたか?

藤原:実際に黒字化して子会社化したんですけど、結局僕は一番は取れないなと思ったんです。いろいろ試行錯誤して行動したけど、一芸に特化する人とは積んでるOSが違うことに気づいて、そういう特性を持つ人と対等に勝負するのは無理だとわかりました。

その転機になったのが、弟なんです。当時営業が足りなくて大学1年からインターンでバリバリ営業していた弟を誘って、机を並べて働きました。弟は猪突猛進で営業の鬼。完全に一芸特化タイプ。その仕事ぶりを目の前で見た時、「逆立ちしてもかなわない」と感じたと同時に、僕と弟は補完性が高いということに気づきました。「あ、俺はこのポジションなのか」と、すごく納得したことを今でも覚えています。

一芸特化タイプは、こぼれる部分があって、そのこぼれそうなところを見つけて埋めるほうが得意かもしれない。そのポジションで勝負すべきなんじゃないかと。

結局1周まわって戻ってきたんですよ。いろいろ悩んで考えて行動して、一芸特化の人たちとの競争戦略・生存戦略を考えた時、穴を埋めて補完するとか、衛星的なポジションが自分には合っていると思うようになりました。

平田:そこで真の意味で「衛星的な生き方」が腹落ちしたんですね。

藤原:そうですね。それからは本当の意味で自我も固まって。「僕はそうやって生きていく」と決めて、長野に帰って家業を継ぐことを決意しました。

「無邪気」であれること

平田:たしかに、印刷という仕事も衛星っぽいですよね。

藤原:そうそう。だからすごく自分の性格に合っているんですよ。僕が現場、弟が営業というポジションもすごくぴったりきている。弟は営業で顧客に集中して、工場で自分が現場社員や協力会社さんの協力を仰ぐ。

平田:挫折も経て、自分は衛星なんだと腹落ちして長野に来ているから今の藤原さんがあるんですね。ここまでお話ししていただいて、藤原さんにとって「よき人生」とは何だと思いますか?

藤原:うーん。「自分の特性と役割が合っている状態でい続けられること」かもしれませんね。自分の性格や行動の特性が、仕事や暮らしの中でハマっていないと幸せになれないと思います。

特性と役割が一致すると、自信が生まれ、周囲に気を遣う必要が薄れ、無邪気でいられるようになると思うんです。だから「無邪気」になれている時間が多いほど、よき人生。

平田:それはすごくわかります。私、45歳くらいから、小学生に戻ったような気持ちがずっと続いてるんです。20代の頃は本当に生きづらかったけど、どんどん無邪気に楽しくなって、楽になっている。それは役割と特性が一致できるようになってきたからなのかもしれませんね。

藤原:だから僕は、挫折した数年間を除いたら、ずっと自分の衛星的な特性を理解してその役割を見つけられてきたから、無邪気じゃなかった時があんまりないのかもしれません。ずっとよき人生ですね。イケてたいなって純粋に思う気持ちは、今も一貫して変わらないです(笑)。

平田:「本当はモテたい」「イケていたい」とかって、思っていても胸を張って言えない人が多いと思うんです。でも、藤原さんはそれを全力で言えてしまうし、それが嫌らしくない。天性の自信は、本当に素敵ですよね。

藤原:「イケてるな」って自分自身で思えるって幸せじゃないですか。だからそれは昔も今もこれからも、きっと自分の中で指針としてあり続けるんだと思います。そう言い続けられる自分でありたいですね。

あかしゆか

1992年生まれ、京都出身。大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。 現在はウェブ・紙問わず、フリーランスの編集者・ライターとして活動をしている。2020年から東京と岡山の2拠点生活をはじめ、2021年4月、瀬戸内海にて本屋「aru」をオープン。

あかしゆかの記事をもっと見る

特集